佐野常民伯爵栄進記念画帳(佐野常民記念館所蔵)から抜粋

 時代が江戸から明治へ変わり、人々の価値観が大転換する時に、日本の古美術工芸界も衰退の危機にさらされます。賢人佐野常民は慶応3(1867)年のパリ万国博覧会と明治6(1873)年のウイーン万博での洋行体験から、日本美術の西欧での高評価と、国内の悲惨な現状との落差に暗たんたる思いを抱くと同時に、美術工芸の保護と奨励が国益に直結することを確信しました。

 渡欧経験者の河瀬秀治、山高信離、納富介次郎など古美術の衰退を憂える人たちを中心として、明治12(1879)年3月に龍池会(後の日本美術協会)が結成され、常民は会頭に就任しました。

 龍池会は、上野の森で観古美術会(古書・工芸展覧会)などを、海外では明治16年と17年にパリで日本美術縦覧会を開催。内外に日本美術の新境地を示し衝撃を与えました。

 ウイーン万博事務総裁の大隈重信公は『大隈伯昔日譚』の中で「かの我国古来の名畫(めいが)ならびに珍器等の頻(しき)りに外国に流失するに際し、人の未だ是を意とせざる時に、早く之を救済すべきの叫謦(きょうせい)を挙げたるは佐野なり」と記しました。また工部大学校に勤めたヘンリー・ダイアー(英国人)は「日本は佐野らに大いに感謝すべきだ。今や日本美術の様々な分野で多くの芸術家を輩出するに至り、往時の傑作にも引けをとらない立派な作品を生み出すようになった」と評価しました。改めて佐野常民の先見の鋭さと、多才さに感銘を受けます。(佐野常民記念館館長・諸田謙次郎)