選手としても監督としてもプロ野球に偉大な功績を残した野村克也さんが亡くなった。野村さんは2003年から3年間、社会人野球のシダックスの監督を務めた。当時、選手として指導を仰いだ現昌平高校(埼玉県杉戸町)野球部の黒坂洋介監督(44)と座主隼人コーチ(39)が思いを語った。

 黒坂監督は03、04年の2年間、野村監督と共に戦った。

 野村監督は就任当初、野球のミーティングはほとんどしなかったという。掛けてもらった印象的な言葉には「野球を取ったらゼロになるな」「自分自身の哲学を持て」「本を読め」を挙げ、「いち社会人としてどうあるべきかを学ばせてもらった」と感謝する。今、自身が高校生を指導する上での原点になっている。

 外野手だった黒坂監督が野村監督と出会ったのが、27歳の時。選手としてベテランの域に達していたが「戦略や戦術、打席での考え方など今まで何となく分かっていたことを言葉や文章にしてくれた。『なるほど』ということが多かった」と回想する。

 黒坂監督が母校・昌平高の監督に就くのは2度目。04年に現役を引退し、05年4月に1度目の監督に就任する直前にあいさつに行った際には、野村監督が「俺が一番やりたかった職業が、高校野球の監督なんだ」と言って背中を押してくれたという。

 座主コーチは立大卒業後、野村監督が在籍した3年間、同じユニホームを着た。目の当たりにしたのは野村監督の代名詞の「ID野球」。試合中、座主コーチはベンチで野村監督の隣りに座ることが多く、相手投手が次に投げる球種を当てることを命じられた。

 この経験が大きいという。昌平のコーチに就任したのは昨年9月。指導者になるのは初めてだったが、高校生には「打席では根拠を持ってヤマを張れ」「打席の中で自分で配球しろ」と伝えているそうで「失敗や迷いはあるけど、どんどん訓練して自分のものにしてほしい」と力を込める。

 座主コーチは「野村さんは最後まで野球に携われて幸せだったと思う。お疲れさまでした。ありがとうございました」と言葉を贈り、黒坂監督も「野村さんは生涯、野球に命を懸けた人。野村監督に教わってなかったら指導者にはなっていない。日本野球界に多大な功績を残した“野村野球”を後世につなげていきたい」と決意を新たにした。