開いた扉の向こうにいつも良いことがあればいいのですが、トイレの個室だと思って開いたら掃除用具入れだったという失敗、たまにありますよね。 ドア・プレートがついていない扉、そしてプレートから文字が消えてしまった扉。本当に困ったものです。 でも、視点をちょっと変えて見てみれば、それが何のドアかを教えてくれない無言の扉とはアートの入り口なのかもしれません。 役に立つものは道具で、役に立たないものこそがアートである──いつも言っているように無言板とはそんな「無用の美」によって自立した存在なのです。 今回は想像力を掻き立ててくれる無言の扉を、ここではドラえもんのひみつ道具「どこでもドア」をもじって「どこでもないドア」と名付けて観察していきます。

Something inside《入ってます》
Something inside《入ってます》

住宅地の空き地にコンテナ型のトランクハウスが並んでいました。

ドアの張り紙が剥がれた跡が、日焼けする前の鮮やかな塗装色を無言で主張しています。

青空を背景に正面から見ると何となく「どこでもドア」感がありますが、現代の空き地はあの土管が並んでいたドラえもんの空き地とは隔世の感があります。

この扉の鍵を開けて中に入るとジャイアンたちのいる土管の空き地につながっていたらいいのになぁと夢想します。

The constructivist’s door《構成主義者のドア》
The constructivist’s door《構成主義者のドア》

大胆なアールを描いた庇(ひさし)の下にひっそりと隠れた一枚のドア。

何か書かれていたはずのプレートはすっかり褪色してしまい、何の部屋なのかはもはや想像すらつきません。

縦長のドア窓を覗こうにも中が真っ暗なのか、内側から目張りしてあるのか真っ黒で何も見えません。

偶然にも水平の白の長方形と垂直の黒の長方形が対置された構図が適度なバランスを生み、まるでロシア構成主義のグラフィックデザインのようではありませんか。

この緊張感、たまりませんね。かっこいいです。

Punishment room《お仕置き部屋》
Punishment room《お仕置き部屋》

何ともいえない独特な気配に足が止まりました。

トマソンでいう「空中ドア」には高さが足りませんが、何とも微妙な位置についたドア。

よく見ると下半分、ちょうど子供の背丈くらいまでの位置にたくさんの手形がついているのはどうして?

まさかこれは昔悪いことをした子供が反省するまで中に入れられたという伝説のお仕置き部屋か!と思いきや、ゴミのネットやケースがある様子からマンションのゴミ置き部屋だということがわかります。

お仕置きとゴミ置きとでは大違いでしたね。

The door to another world《夢幻の扉》
The door to another world《夢幻の扉》

もともとあった看板を外したら、前に塗り直したペンキが染みのように垂れた地板が露出して、なんとも幻想的な絵画が出現したということのようです。

いや、見方によっては重力による絵具の滴りを生々しく写しとった抽象絵画のようでもあり、侘びや寂びの境地すら感じられる。

シンプルな板戸なのにこれはなかなかの風格です。

画面上辺から下に向かって流れる平行線に、もの派の代表的アーティスト李禹煥(リ・ウファン)の絵画《線より》を連想してしまいました。

扉は少し開いたままで、中にスノコが敷かれているのがわかりますが、その奥は暗くて見通せません。

特に表札も看板もないのですが何かの工房かアトリエのような雰囲気を漂わせています。

A door to nowhere《どこでもないドア》
A door to nowhere《どこでもないドア》

最後はドアではないのですが、この立ち方はまさに「どこでもドア」っぽい。

遠目には一瞬、電話ボックスにも見えたのですがこれは箱型ではなく平たいガラス板。

どうやら何か催し物のポスターを掲示するためのフレームのようですが、コロナ禍で閑散としたこのオフィス街ではイベントも自粛されているのでしょう。あちこちに同じ無言の掲示板が立っているシュールな光景に出くわしました。

高層ビルと同じ金属とガラスでできたフレームの隙間から見える景色はやはり相変わらずの高層ビル街です。

《どこでもないドア》とは実に「いま・ここ」を確かめるための装置なのかもしれません。

文・写真=楠見 清