[特集]さよなら障害 全盲だから分かるシーズとニーズ

情報技術で視覚障害のできないことを できるに変える 人はその当事者にならなければ、ほんとうにその立場を理解できないものだ。想像だけではミスマッチが起こる。静岡県立大学の石川准教授は、授業と研究の傍ら、デジタルで点字翻訳を手掛けるシーズ側でありニーズ側でもある。

 ■全盲で東大受験
網膜剥離(もうまくはくり)は、眼球の内側にある網膜が剥がれ、視力が低下する病気で、加齢や糖尿病網膜症など別の病気が原因だったり、事故などによる頭部や眼球への打撃が原因で引き起こされることもある。 静岡県立大学国際関係学部の石川准教授は、16歳のとき網膜剥離のため失明し、それ以後は全盲だ。

 もともとは理系志望で、盲学校時代に理系で大学受験を目指したが、当時は理系学部の点字受験を認める大学はほとんどなかった。日本で初めて東大受験をと周囲から応援されていたことから、得意な理系を諦め、文系に変えてでも周囲の期待に応えようと東京大学の文学部を受験した。全盲の学生が東京大学に入学したのは史上初めてのことだった。 石川教授は「当時は若かったこともあり、周囲の期待に応えようと一生懸命でした」と振り返る。 そして1981年、卒業と同時に東京大学大学院に進学し、1987年に博士課程を単位取得退学。1984年に1年ほどニューヨーク州立大学ストーニーブルック校に留学した。

大学院と米国留学時代には、目が見えないことで苦労を強いられた。研究のため読まなければならない論文や読みたい論文も読めない。当然インターネットも発達していなかった時代だ。 「米国留学時代に、音声合成でしゃべっているパソコンに出会って感激しました。これは目の見えない人に使えると思って、プログラミングを独学で学びました。テキストはカーニハン&リッチーの"The C Programming Language(プログラミング言語C)"でした」と石川教授。大学院卒業後は、静岡県立大の教員として授業や研究の傍らソフト開発にも熱中したという。 全盲の不便さと米国留学が今の静岡県立大学発ベンチャー 有限会社エクストラ(静岡県静岡市)を立ち上げる契機となった。