17日で発生から25年となった阪神大震災。和歌山大学システム工学部准教授の平田隆行さん(48)は当時大学生で、神戸市中央区で被災した。その経験を踏まえ、和歌山でも事前復興計画を作成する自治体の委員長を務めるなどし、講演会で防災の必要性を訴え続ける。被災直後に始めた神戸市の街を写真で記録する活動は今も続けており、「防災の必要性を伝え続けることが、“あの場”に居合わせた被災者の使命」と言い切る。(前川康二)

 愛知県春日井市出身。地元の高校卒業後、神戸大学工学部に進学し、建築学を学んだ。

 震災には4年生の時、下宿先で被災した。地震初期の振動でガラスコップがぶつかる「チリチリ」という音で目が覚め、直後に「ドーン」という轟音とともに激しい振動に襲われた。

 幸い部屋に大きな家具はなく、倒壊による負傷は免れたが、家財は散乱し、停電で部屋は真っ暗。徐々に明るくなり、外を見ると、遠くで火の手が上がっているのが見えた。

 「大変なことが起きている」と感じ、ミニバイクで友人が多く住む灘区に向かった。その際、愛用していたフィルムカメラを手にした。大学のフィールドワークで現地調査の際、写真撮影するのが習慣だった。

 「漠然と、でも強く『記録に残さなければ』と感じた」と振り返る。

 倒壊し火の手を上げる家屋、傾いた商業ビル、押しつぶされた車から鳴り続けるクラクション…。一変した神戸の街の姿を、写真で記録し続けた。

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 そんな写真の資料的価値に、被災直後は明確に気付いていなかったという。

 しかし、神戸大学の大学院に進み、研究室の一員として住宅再建を目指す市民の相談に応じるなど震災と向き合う中で、次第に写真が伝えるメッセージに価値を見いだした。

 例えば、倒壊家屋に人々が集まる写真。

 「埋まった人を助けようと、多くの人が集まっている。非常時に、人は誰かを助けようとするのがよく分かる」と説明する。

 別の写真には、2階建てアパートの1階が押しつぶされ、その前で人を呼ぶ女性と、通り過ぎる人々が見える。

 「女性は、倒壊した家に住む知人の行方を聞いていた」と説明。「もし同じ建物の住人が『人がいる』と知っていれば、周りの人と協力して救助していただろう。普段の人同士のつながりが生死を分ける」と指摘する。

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 和歌山大学には平成15年に赴任。集落の日常の住環境について研究を続ける一方、被災の経験を踏まえ、自然災害に関する授業もする。「“あの日”を経験したからこそ伝えられることがある」と、学外でも県主催の防災講座の講師を務める。

 常に訴えるのは、防災の視点を日々の暮らしに織り込むことだ。「災害は誰の身にも起こりうる。それを前提に、生活設計することが減災につながっていく」と強調する。

 和歌山は近い将来、南海トラフ巨大地震が起こるとされる。

 そのため、あらかじめ自治体が被災前に復興方針を定める「事前復興計画」の作成に協力。美浜町では防災会議の専門委員会の委員長も務めた。

 「被災後の暮らしに希望が持てる社会づくりのため、これからも阪神大震災の経験を生かし、伝えていきたい」と力強く話す。