【戦後72年】キリスト教と出合い「許し」を知る 海軍将校から牧師に、後宮俊夫さん

【戦後72年】キリスト教と出合い「許し」を知る 海軍将校から牧師に、後宮俊夫さん

 「敗戦でこの国は滅びるかと思った」。先の大戦中、海軍将校として米ハワイの真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などに参加した後宮(うしろく)俊夫さん(95)=滋賀県湖南市。いちずに国のためと信じ、敵と戦った時代だった。15日は「終戦の日」。戦後は牧師として生きてきた。「キリスト教に出合い、『許すこと』があると知った」(池田祥子)

 昭和16年12月8日の明け方。太平洋に浮かぶ日本の空母から航空機が次々と真珠湾に向けて飛び立つのを、護衛の役割を担った戦艦「霧島」から見送り、「これで日本は生き延びられる。連合艦隊はおもちゃにならずにすむ」と安堵(あんど)したという。

 このわずか3週間前に海軍兵学校を卒業したばかり。卒業直前に上官が語っていた言葉が思い出されたからだ。「石油の輸入が止められ、今年中に戦争をしないと、連合艦隊はただの飾り物になってしまう」

 軍人一家に生まれ、父のいとこは陸軍大将で要職を歴任した後宮淳。当然のように軍人を志した。

 真珠湾攻撃の後、ミッドウェー海戦を経て、南太平洋でのいくつかの海戦に参加。当初は破竹の勢いだった日本の攻撃にも陰りが見え始めた。

壮絶な戦場

 日米開戦から約1年後の17年11月、第3次ソロモン海戦に、霧島の高角砲の指揮官として参加。ソロモン諸島のガダルカナル島近くの狭い海域には日米の艦船がひしめき、対空兵器である高角砲が間近の敵艦を狙うため水平に撃たれるほどだった。

 壮絶な撃ち合いの中で指揮所から身を乗り出した瞬間、背面に強い衝撃を受けた。弾の破片で両肩がえぐられていた。その後、「総員上へ」の号令。甲板に上がると、艦が傾き始め、海面に投げ出された。

 意識を失ったが、近くにいた仲間に救助された。「その後、傷の状態があまりにもひどく、『靖国神社に祭られた方がよかった』と思った」と振り返る。

 忘れられない光景がある。戦闘中、片足を砲弾で吹き飛ばされた兵士が、何事もないように座ったまま、砲を撃つために照準をあわせていた。「日頃の訓練なのか、精神力なのか。普通では考えられないことが戦場では起こった」

口だけでは実現しない平和

 敗戦を迎えたのは、海軍大尉のとき。23歳だった。「生涯をささげるつもりだった海軍がなくなり、目標を失った」が、熱心なクリスチャンだった母の影響で榎本保郎牧師と出会った。三浦綾子の「ちいろば先生物語」で描かれた人だった。

 米国の宗教だったキリスト教は嫌いだったが、自分を犠牲にして困った人のために働く榎本牧師の姿にひかれ、洗礼を受けた。

 自らも牧師となって榎本牧師の後を継ぎ、平成7年3月まで30年あまりにわたって日本基督教団世光(せこう)教会(京都市伏見区)の牧師を務めた。この間、日本基督教団のトップ、総会議長を務めたり、障害者・高齢者施設の運営などの福祉事業にも携わったりした。

 戦後70年あまりたったいまでも戦争当時を思い出す。「あのときは自分たちの惨状しか見えなかった。相手の惨状は見えず、心の傷も見えなかった」

 戦争から戻り、生きる希望を失ったときに出会った榎本牧師の姿を通して学んだキリストの教えをかみしめる。「平和、平和と口で言うだけでも実現しない。『自分だけ』ではなく、互いに『許すこと』がなければ平和は訪れない」

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