平成26年5月、自分にとって青天の霹靂(へきれき)ともいえる事態が発生した。10年以上にわたって勤務していた夕刊フジ関西総局を離れ、産経新聞大阪本社編集局地方部へ異動することになった。いずれはあるだろうとは思っていたが、まさかこのタイミングで異動になるとは考えていなかった。

 ネット番組をどうするか

 異動に伴い、平成18年10月から約7年半にわたって週1回の掲載を続けていた「マニアフジ」(25年4月に「OTAKUフジ」から改称)も382回で終了。23年4月から配信を続けていた「フジステ!!」(25年4月に「OTAKUフジステーション」から改称)の対応にも追われた。

 頭をよぎったのは、関西のサブカルチャー街と呼ばれる大阪・日本橋(にっぽんばし)での経験だ。21年夏に“日本橋の顔”となるとみていた「大阪萌え大使」の活動拠点を確保するために関係者との折衝を重ねていたが、わずか約1年半で崩壊。このときに「始めるのは大変。やめるのは簡単。やめたことを再開するのはもっと大変」という教訓を得た。

 「フジステ!!」の配信を終了することは簡単だが、ボランティアで出演を続けてくれたレギュラーメンバーたちに申し訳ない。それ以上に、このままやめてしまったら、何もできなくなってしまい、何も残せないまま終わってしまうのではないか−という危機感を強く抱いた。

 一方、番組を立ち上げた当初に「100週連続で配信したい」と意気込み、それは達成していた。日本橋で手がけていたネットラジオ番組「私立日本橋高校放送部校外放送」(21年10月〜23年3月)、レギュラー出演していたラジオ大阪「もえもえポンバシ系」(20年4月〜22年5月)の放送回数を上回っており、「やめようと思えばいつでもやめられる」との考えもあった。

 名称は…

 結局、個人配信になってもいいから、番組は続ける決意を固めた。

 そのうえで、改めて番組コンセプトを練り直した。関西で頑張っているアーティストたちを応援することが最大のミッションと位置づけ、第1回の配信から一貫している街角からの公開生配信も続けることにした。

 配信会場だった「USTREAM STUDIO CAFE OSAKA」(大阪市西区、現在は閉店)の了解もとりつけ、態勢を整えていったが、番組名をどうするかという問題が浮上した。

 愛称の「ふじすて」を変えるつもりはなかったので、いろいろと知恵をめぐらせ、「富士山の山頂まで登るようなシンデレラストーリーができたら、素敵(すてき)だと思うからまだあきらめない!!」と設定し、略して「ふじすて××」とすることにした。

 ゲストをどうするかという課題もあった。

 これまでは、番組に出演していただいたゲストについて紙面に掲載していたが、個人配信ではそれもなくなる。しばらくはゲストを呼ばないことを選択した。平成23年4月1日から数えて配信162回目、個人配信がスタート。こうした状況でも出演してくれたレギュラーメンバー、ゲスト出演していただいた芸能事務所関係者には感謝してもしきれない。

 戦国時代の幕開け

 一方、26年の関西アイドル界は非常に大きな転換期を迎えていた。

 関西ライブアイドル界の四天王と呼ばれていた「Mary Angel」「SKETCH」「Csli(シスリィ)」の3組が相次いで解散を発表。なかでもMary Angelは、24年にリリースしたシングル「Like an Angel」がオリコンの週間インディーズ部門で1位を獲得し、大阪府のPR大使も務めるなど、名実ともに関西トップのグループとして関西アイドル界を牽引(けんいん)していた。

 結成から約8年でメンバー全員が卒業という形で解散することは、アイドルグループを長く続けることの難しさを物語っていた。

 関西の有力グループが次々と消えていったことで、次はどのグループが関西を引っ張っていくかに注目が移った。さらに26年末、大阪・ミナミを拠点にする「minAmin」、大阪の通天閣を拠点にする「まいどリームス」が相次いで誕生。関西でアイドル戦国時代が本格的に幕開けしたことを予感させた。(格清政典)