昭和57年オフ、水谷実雄との交換トレードで、阪急から広島に移籍した加藤秀司にとって近鉄−巨人とこれで4球団目。まさに〝流転の野球人生〟である。

 加藤がなぜ阪急を追われたのか。その理由はことし(令和2年)3月の夕刊『一聞百見』(17日〜19日)で書いた。もう一度、おさらいしてみよう。

 話は53年に遡(さかのぼ)る。10月22日、阪急−ヤクルトの日本シリーズ第7戦(後楽園球場)。上田利治監督はヤクルト・大杉勝男の左翼ポール際に飛び込んだ打球の判定をめぐって「ファウルだ!」と1時間19分にも及ぶ猛抗議。判定は覆らず結局、阪急は3勝4敗で敗れ、上田は辞意を表明した。加藤たちは選手会で集まり、負けた責任は選手にもある−と監督を説得したが、上田の辞意は変わらず退団。梶本隆夫が監督に就任した。

 そして55年、梶本阪急がBクラス(5位)になると、上田は阪急の監督に3年ぶりに復帰した。復帰が決まった日、加藤に上田監督から電話がはいった。

 「今度は自分の後継者も育てていくから、よろしく頼むぞ」。ところが加藤はその上田に「何で帰ってくるんですか」と答えたという。

 「オレもしもたぁ!と思ったよ。けど後の祭りや。心の中に、3年で戻ってくるぐらいやったら、なんで選手会で説得に行ったときに翻意してくれへんかったんや−という思いがあった」

 それだけだろうか。他にも理由がありそうだ。加藤の脇腹を押した。

 日本シリーズが終わった夜、加藤は午前1時過ぎに宿舎に戻った。ホテルのラウンジには退団を決めた上田監督を囲んで大勢の記者たちがいた。すると上田が加藤を呼んでこう言った。

 「秀よ、お前がしっかりせんから、阪神からトレードの申し込みが来とる。相手は田淵やぞ。悔しいとは思わんか」

 突然、飛び出した〝新事実〟に担当記者たちは色めき立った。翌日の朝刊には間に合わなかったものの、この上田発言がきっかけで『阪神、田淵放出』とプロ野球界は大騒ぎになったのである。

 「あんなことを記者の前で簡単に口にする上田さんが信じられんようになった。そんな人やったんか…と悔しくてなぁ。きっとその思いが、心のどこかに残ってたんやな」

 消えていなかった監督への不信感。上田もそれを感じ取っていたのだろう。2年後、広島に放出された。「言わんでもええ余計な一言やったな」と加藤は反省した。

                                (敬称略)