2020年の野球殿堂入りのメンバーが14日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表され、競技者表彰のエキスパート表彰で阪神、西武で活躍した田淵幸一氏(73)が選ばれた。通知式に出席した田淵氏は恩師らに感謝するとともに、18年1月に亡くなった星野仙一氏や、闘病生活をおくる山本浩二氏(73)ら同級生の存在の大きさを挙げ「仙ちゃん、俺ももらったよ」と天に報告した。

 3人での祝賀会は実現できなかった。しかし約束は果たした。2008年の山本氏、17年の星野氏に続いて、田淵氏が殿堂入り。星野氏の形見のコートに身を包んで会場に到着し、通知式に出席すると、天国へ「心の中で報告した」ことを明かした。

 「仙ちゃん、俺ももらったよ」

 どう答えると思う? そう問われると「お前もやっぱりもらったか」と闘将の言葉を想像して、うれしそうに笑った。

 2017年12月に東京と大阪で開かれた星野氏の殿堂入りパーティー。「ぶち(田淵)、お前も数年したら殿堂入りかもしれないから(そのときは)浩二と3人で祝賀会しようや」。その言葉が忘れられない。それから1カ月もたたず、星野氏は逝ってしまった。

 山本氏からは、すぐに「おめでとう」と電話をもらったが、現在は体調が優れないという。田淵氏は「同級生がこういう形で私を後押ししてくれたんだと。本当に感謝しています」と目を細めた。

 東京六大学時代からの盟友だ。法大の主砲、田淵と山本。明大のエース星野。田淵氏と星野氏は巨人入りがかなわず、虎竜に分かれた。広島入りの山本氏と3人、思いは同じ。打倒巨人−。

 「成績はたいした数字じゃないですが、大きな山である王さん、長嶋さんと勝負できたという気持ちが、こういう賞をいただいたと思います」

 ONの前で本塁打を打つことが最高の喜びだった。1975年には王貞治の14年連続本塁打王を阻む43発で戴冠。阪神で現役時代に優勝することはできなかったが、2003年にコーチとして、星野仙一監督の下で、夢をかなえた。

 01年12月に闘将から入閣要請を受けたときの心境を「一蓮托生。死なばもろとも。即断即決」と振り返る。「(そこから)星野という男の中身を、すべて知り尽くした付き合いができたと思う」。阪神、08年北京五輪日本代表、楽天。これまでより深く、濃い付き合いをしてきたからこそ、無念の思いは消えることはない。今でも夢に見る。「キャッチボールしようや」。そんな声が聞こえてくるという。

 「もうちょっと一緒に、やりたかった」

 出会いに恵まれた野球人生だ。法政一高、法大で監督だった松永怜一氏に始まり、阪神では後藤次男氏、西武では広岡達朗氏ら多くの指導者に導かれた。バッテリーを組んだ江夏豊氏、ONら強力なライバル。すべてが成長の糧となった。そして、親友の存在−。

 「生きている間、今後のプロ野球に微力ながら尽くして、経験したことを伝えていきたい。恩返しをしていかないと」

 三回忌を迎えたばかりの星野氏の思いを受け継ぎ、記録にも記憶にも残るスラッガーは野球界にその身を捧げていく。 (堀啓介)

田淵氏の野球殿堂入りにコメントを出した阪神・揚塩健治社長「野球殿堂入りおめでとうございます。選手、コーチそしてOB会長として、阪神タイガースに多大な貢献をしていただきました田淵さんが野球殿堂入りされましたことを心からお慶び申し上げます。また今年が球団創設85周年の節目の年ということも何かの縁を感じており大変嬉しく思っております」

田淵氏のゲストスピーチを務めた法大で1年後輩のエースだった法友野球倶楽部会長の山中正竹氏「大学生で、神宮球場にあれだけのお客さんを呼び込んだのは、長嶋茂雄さん以来ではないか」

★バース、掛布氏ら来年以降へ

 今年のエキスパート表彰での有効投票数は135。当選には102票が必要だったが、田淵氏は109票を獲得して野球殿堂入りを果たした。一方、ランディ・バース氏は89票、掛布雅之氏は62票、岡田彰布氏は16票と元阪神のクリーンアップは殿堂入りならず。来年の選出を目指す。

★数字で見る田淵氏

 通算安打は名球会入りの2000本に届かない1532本にとどまったが、歴代11位の474本塁打を記録。本塁打1本当たりに要した打数は12・41で、通算300本塁打以上では王貞治の10・66に次ぐ2番目の少なさだった。16年の現役生活で犠打はゼロ。

★野球殿堂入りの対象者、選出方法

 【競技者表彰・プレーヤー表彰】引退から5年以上の元プロ選手で今回の候補は21人。候補者でいられるのは15年間。野球報道にかかわって15年以上の委員が7人以内の連記で投票する。今年の投票委員数は361、有効投票数は354で、当選必要数は266。

 【競技者表彰・エキスパート表彰】プロのコーチ、監督でユニホームを脱いで6カ月以上経過しているか、引退から21年以上の選手が対象。今回の候補は16人。すでに殿堂入りした人、表彰委員会幹事と野球報道30年以上の委員が5人以内の連記で投票する。今年の投票委員数は138、有効投票数は135で、当選必要数は102。

 【特別表彰】〔1〕アマチュア競技者で選手は引退から5年以上、コーチと監督は引退後6カ月以上〔2〕プロ、アマの審判員で引退後6カ月以上〔3〕プロ、アマの組織などの発展に貢献〔4〕日本の野球の普及、発展に貢献−のいずれかに該当する人。プロの役員および元役員やアマの役員、野球関係の学識経験者が投票する。今年の投票委員数、有効投票数ともに14で、当選必要数は11。

 いずれの表彰も、有効投票数の75%以上を得票した人が選出される。

田淵 幸一(たぶち・こういち)

 1946(昭和21)年9月24日生まれ、73歳。東京都出身。法政一(現法政)高から法大に進み、山本浩二、富田勝とともに“法政三羽ガラス”と称された。69年ドラフト1位で阪神入団。1年目に新人王に輝き、75年には本塁打王を獲得。79年に西武へ移籍し、82年からの2年連続日本一に貢献。83年には正力賞を受賞した。84年に現役引退。90−92年にダイエー(現ソフトバンク)で指揮を執るほか、阪神、日本代表、楽天でコーチを歴任。プロ16年で現役通算1739試合、打率・260、1532安打、474本塁打、1135打点。右投げ右打ち。

野球殿堂

 日本の野球発展に大きく貢献した人たちの功績をたたえ、顕彰することを目的として1959年に創設された。プロ球界で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰とエキスパート表彰)と、アマチュアを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出はいずれも投票で75%以上の得票が必要。殿堂入りすると、東京ドームにある野球殿堂博物館にレリーフが飾られる。