プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得するなどいずれも歴代2位の通算2901安打、657本塁打を放ち、監督としても歴代5位の通算1565勝を挙げたサンケイスポーツ専属野球評論家の野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。

 ヤクルト・高津臣吾監督(51)は11日、キャンプ地の沖縄・浦添市で野村克也さんの訃報に接し、「(監督姿を)見てもらいたかった」と声を詰まらせた。現役時代に守護神として見いだしてくれた恩師だった。球団は球場に半旗を掲げ、選手や関係者が黙祷をささげた。野村さんは選手兼任も含めて4球団で計24年間監督を務め、多くの選手を育成。教え子からは、突然の別れを悲しむ声が相次いだ。

 恩師との思い出が走馬灯のように駆け巡った。この日の早朝に野村さんの息子、克則氏(楽天作戦コーチ)から連絡を受けた高津監督は、何度も言葉を詰まらせた。

 「一から十までプロ野球の難しさ、厳しさを教わった。野球が難しいと思った。(1軍で初めての監督姿を)見てもらいたかったですし、またボヤいてほしかった。教わることはたくさんあった」

 代名詞となったシンカーの習得を命じられ、抑えとしての適性を見いだしてくれたのが、野村監督だった。

 現役時代は褒められたこともなければ、怒鳴られたこともない。セーブを挙げた後、マウンドから引き揚げる際には必ず『ありがとう』や『サンキュー』と声をかけられた。積み重ねた日米通算313セーブ。引退後に会えば常に「しんどいポジションを任せて悪かったな」と謝罪された。

 1月20日に行われたヤクルトOB会。急きょ初参加した野村監督から「ちょっと頭をひねればゴロッと変わる。弱者が強者になれる」とエールを送られた。年齢を重ねて立場が変わる中、普通の会話ができることがうれしかった。「『その時計はいくらですか?』と聞けば答えてくれる。現役時代には考えられないけど、監督と選手以上に近い距離になれた気がする」。指揮する姿を、自分の野球を見て評論してほしかった。

 「ヤクルトには素晴らしい伝統がある。僕は厳しさの中で伸び伸びと野球を楽しませてもらった。必ずどこかで見てくれている。恥ずかしくない野球をしたい」。昨季は最下位に沈んだが、伝統の継承を胸に誓い、20年シーズンに挑む。 (長崎右)