ミダスタッチ考−ミダス王とニーチェをヒントに−

■ミダス王
 
 ギリシャ神話の中のミダス王は、触るものが金に変わってしまう「ミダスタッチ」で有名です。豊穣とお酒の神であるディオニュソスの養父を助け歓待し、それに感謝したディオニュソスがミダスの望みを聞き、触るものなんでも金に変える能力を与えました。ミダスは、最初は喜びましたが、食べるものまで金に変わってしまうのに驚き、失望していきます。
 
 話は続きがありますし、このミダス王は、「王様の耳はロバの耳」の物語の主人公でもあるのですが、ここでは触れません。触るものがすべて金に変わるということはこの物語の背景となっている時代、あるいはこの物語が作られた時代には、やはり金が富として最高の位置を占めていることと、そのような人間の欲望、富が湧き出てくるという夢想を示しているのではないかと思います。
 
 ミダス王はその後、すべてが金に変わってしまうことに困り、ディオニュソスに頼み元に戻してもらいます。教訓的にみれば、人間の欲望にはきりがないという教訓にすることもできるでしょう。しかし一方で、金の価値を示した、あるいは富に変えてしまう能力は、やはり人間の金への永遠の憧れであり続けているように思います。
 
■ミダスタッチ
 
 このようなミダスの能力は後に「ミダスタッチ」と呼ばれるようになりました。米国大統領になったドナルド・トランプ氏とロバート・キヨサキ氏の共著にも、ミダスタッチをタイトルにした起業論関連の本もあります。ミダスタッチは、今では神話の世界でしかありませんし、そのような能力を持った人間が実際にいるわけではありません。現代では、どちらかというと、金の魅力のたとえであったり、お金を生み出す能力をシンボリックに表すようになっているともいえます。
 
 ところで、このミダスタッチは、我々庶民にはまったく関係ないことでしょうか。
 
 ある意味ではそうかもしれません。しかし、筆者にはそうは思えません。こう考えることもできるように思います。前回の「Heart of Gold」を取り上げたコラムでも触れましたが、誰かのために金をコツコツ積み立てていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません、ということをお話ししました。そうした心が「ミダスタッチ」といえるのではないでしょうか?「有事の金」でもあるが、優しい心がはぐくむ富でもあるのではないでしょうか?その考えを援護してくれるのは、次のニーチェの考えです。
 
■「ツェラトストラ」で述べたニーチェの金
 
 ドイツの哲学者ニーチェの名著『ツェラトストラ』の中で、「まだら牛」という町を通りかかったニーチェに弟子たちが「金の握りのついた杖」をプレゼントする場面があります(ニーチェの「ツェラトストラ」は物語のように哲学が描写されています)。そこでニーチェは、金はかがやきがやわらかく、プレゼントをすることが徳のシンボルであるという内容のことを述べています(注)。
 
 欲望のシンボルとは全く逆ですね。送る心のシンボルとしての「金」。これは、上述した、あるいは「Heart of Gold」で述べた優しい心のシンボルと共通するものがあるように感じます。
 
 何度か触れてきたように、世界においては、金をめぐる歴史環境は必ずしも美しいものばかりではありませんでした。そうした中であるからこそ、優しい心を根源とした「私たちのミダスタッチ」こそが、金を一層輝かせることになるのではないでしょうか?
 
(注)
ニーチェ著 手塚富雄訳 『ツェラトストラ』 中公文庫1973年6月 中央公論社(現中央公論新社)P.117−118を参考にしました。
この該当部分に関しては、一般社団法人金地金流通協会の山口純氏(現副会長)も触れていらっしゃいます。 同協会「Gold & Platinum」平成26年9月発行 P.3巻頭言 
http://www.jgma.or.jp/jgma/wp−content/uploads/gp_no35.pdf

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