万里の長城を建設したことでも知られる「秦の始皇帝」の命を受け、不老不死の薬を求めて旅立った「徐福」という人物がいたという。徐福は3000人の若い男女と多くの技術者を従えて東方に船出したと言われているが、中国メディアの今日頭条はこのほど、「徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である」という説は本当かと題する記事を掲載した。

 日本には徐福にまつわる伝承が各地に残されているのは事実だ。たとえば、徐福について「平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかった」という記録があることを伝え、記事はこの「平原広沢」は日本の九州地方のことだと主張。九州は気候に恵まれ住民も純朴で、地元住民に農耕や漁業などの技術を伝達して「王」になったのではないかと伝えた。徐福は中国を出るとき、稲など五穀の種子や財宝、各種技術者を伴ったと言われている。

 記事は、徐福が日本を訪れた証拠は十分だと指摘。北宋の詩人・欧陽脩も日本刀についてうたった「日本刀歌」のなかで徐福が日本に渡ったことに触れているほか、古事記や日本書紀も秦から日本に渡って来た人に言及していると紹介した。

 それに加えて、日本には各地に徐福の伝承が残り、徐福を祀った像や記念碑があり、徐福関連の催しが行われていて、徐福の子孫を名乗る人もいると紹介。徐福は伝説の人物ではなく、実際に存在して日本に渡ったに違いないと結論付けている。

 日本各地にこれだけ伝承が残っているというのは、何ともロマンのある話で、中国人が興味を示すのも理解できる。日本人が徐福の末裔というのは誇張された表現であるにしても、徐福とその一行の末裔が日本人と同化したという見方はできそうだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)