NHK大河ドラマ「西郷どん」の舞台となった幕末は、15年ほどととても短い期間ですが、厳しい身分制度のある武士中心の社会から天皇親政体制へと移りゆく激動の時代でした。2018年は実は明治維新150周年だったのですが、それに関連して、維新と関連の深いお城を紹介します。今回は、大政奉還が行われた二条城の歴史に迫ります。

徳川家の権勢を印象づけた城
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が行った大政奉還。歴史の教科書には必ず登場する、幕末史の大きなターニングポイントですよね。実はこの現場こそ、京都の二条城だったことをご存じでしょうか。現在の二条城二の丸御殿には、実際に慶喜が大政奉還を宣言した部屋である大広間一の間が残されており、人気の観光スポットになっています。

では、なぜ徳川慶喜は江戸城ではなく、二条城で大政奉還を行ったのでしょうか。それは、二条城が徳川家にとって重要な意味を持つ城だったからです。

なぜなら二条城を築いたのは徳川の初代将軍、徳川家康なのです。家康は、二条城を徳川家の象徴にしようと考えていました。

二条城が完成したのは家康が征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開いたのと同じ年ですが、これは偶然ではありません。家康は伏見城で将軍宣下を受けたのち、天皇にあいさつするために、二条城から御所へきらびやかな行列を従えて出発しています。こうすることで「徳川将軍家といえば二条城」と世間に印象づけたのです。

将軍に就任すると二条城から天皇のもとに参内する習慣は、江戸幕府の基盤がしっかりする3代将軍・徳川家光の時代まで続きました。そののちは政治の場が江戸城に移り、二条城に将軍が入ることはなくなります。