【豆知識】「最強の城」を造った加藤清正の築城術とは?

【豆知識】「最強の城」を造った加藤清正の築城術とは?

戦国時代に築城の名人として知られていた加藤清正を紹介します。「最強の城」との呼び声高い熊本城を築いた清正の築城術と生涯を紐解きます。

“鉄壁の守り”を目指した築城名人・加藤清正
2016年4月の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城(熊本県)。この城を築いた武将は誰か知っていますか? そう、かつて熊本の領主だった加藤清正(かとうきよまさ)です。

清正は幼い頃から豊臣秀吉に仕え、秀吉の天下統一事業に貢献した人物。熊本では治水工事や灌漑(かんがい)事業などを推進し、戦で荒れ果てていた熊本を復興した名君として慕われています。

賤ヶ岳の七本槍や朝鮮出兵での虎退治など、武勇に優れた将というイメージが強い加藤清正ですが、本連載の第6回でもご紹介したように藤堂高虎(とうどうたかとら)・黒田官兵衛(くろだかんべえ)と並ぶ築城名人としてもその名を知られています。

攻城戦の名人であり、優れた築城者でもあった秀吉のそばで築城術を学んだ清正は、熊本城の他にも江戸城(東京都)や名古屋城(愛知県)などの築城に携わっています。

加藤清正の城は反りのある高石垣が最大の特徴。彼が自分の居城として築いた熊本城では、下部の緩い勾配が上に行くについて急勾配となる「扇の勾配」という積み方が多用されています。これは「武者返し」とも呼ばれ、敵の侵入を防ぐ効果がありました。

また、幾多の戦いを経験した清正は高石垣を厳重にめぐらせた縄張を得意としていました。この熊本城で見られるような反りの強い石垣は、清正の名前をとって「清正流石垣」とも呼ばれています。

台地の突端に築かれた熊本城は、北・東・南の三方に崖を利用した高石垣がめぐらされており、ここからの侵入は不可能。唯一、地続きになっている本丸の西側には、幅10m以上の空堀を設け、堀の内側に西出丸という曲輪を配置して本丸と二の丸を完全に遮断していました。

それだけでも防御は充分なのですが、清正は満足しなかったようで、本丸内にもさらなる仕掛けを施しています。


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