さらに、日本一は城の規模だけではありません。かつては、天守も日本一の高さを誇りました。残念ながら現在の皇居に天守は残っていませんが、江戸時代初期には徳川家康・秀忠・家光と将軍の代替わりごとに天守が築かれました。家康と秀忠の時代の天守の高さはわかりませんが、家光時代の3代目天守(「寛永期天守」とも呼ばれる)は正確な高さがわかっています。それでは、天守の高さ比較をしてみましょう。

 松本城天守:約25m(現存)
 姫路城天守:約32m(現存)
 名古屋城天守:約36m(外観復元)
 大阪城天守:約42m(現在の再建天守)
 江戸城3代目天守:約45m!(焼失)

上であげた数値は、天守台の石垣を含まない建物だけの高さです。天守台も含めると、江戸城3代目天守の高さはなんと約58m! 20階建てビルに相当し、現存木造建築では日本一の高さとなる東寺・五重塔を3m上回る高さでした。日本一の天守であったのはもちろん、当時は世界最大の木造建築だったのです。

さらに江戸城は、将軍の住居であり政務にあたった御殿も日本一の大きさを誇りました。また、広い城内と外濠に配された門の数も、断トツで日本一でした。城郭史上、類例を見ないほどの巨大さを誇った江戸城。その理由は、徳川将軍の威光を全国に轟かせるため。江戸時代は参勤交代で、全国の大名が江戸城を訪れることになります。そのとき、「やっぱり将軍様はスゴいな」、「こんな徳川家に刃向かうなんて無謀だな」と諸大名に思わせるために、江戸城は「日本一」である必要があったのです。今も昔も、「大きいは正しい」ということですね。

お城情報WEBメディア「城びと」
2019年1月初出の記事を再編・再掲載