【豆知識】小田原城が難攻不落と呼ばれる理由

【豆知識】小田原城が難攻不落と呼ばれる理由

関東最強の堅城・小田原城(神奈川県)ご紹介。支城網や惣構を活用し、幾度も大軍を退けた小田原城の波瀾万丈な歴史をご紹介します。

戦国時代、関東最強の城とは?
天下を争う大名たちによって、多数の城が築かれた戦国時代。全国に数千、数万存在するとも言われる城郭の中で、「戦国一の難攻不落の城は?」と聞かれたら何城をイメージしますか?

多くの人が思い浮かべるのは、約20万の大軍を寄せ付けなかった豊臣秀吉の大坂城(大阪府)、近代戦も耐え抜いた熊本城(熊本県)でしょうか。徳川の大軍を2度追い返した上田城(長野県)も有名ですね。

しかし、関東にも戦国時代に名将たちの攻撃を跳ね返し続けた城があることはご存じでしょうか? その城の名は小田原城(神奈川県)。関東を五代にわたって支配した北条氏の本拠地です。

「小田原城って、豊臣秀吉が落としてるじゃん。本当に難攻不落なの?」と疑問に思う人もいらっしゃるかもしれません。確かに小田原城は籠城戦の末、豊臣軍に降伏しています。しかし、秀吉以前にこの城を攻めた名だたる武将たちは、ことごとく撃退されているのです。

小田原城は、もともと国人の大森氏の居城でしたが、北条家の初代・伊勢宗瑞(いせそうずい/北条早雲)が明応4年(1495)〜文亀元年(1501)に攻略。彼の息子・北条氏綱(うじつな/家督相続から5年後に伊勢から改姓)の代から北条氏の本拠として使用されるようになりました。

小田原城は現在も建物や石垣が残っている城ですが、実はこの遺構、北条氏時代のものではありません。北条氏の滅亡後に城主となった徳川家康の家臣・大久保忠世(おおくぼただよ)によって、近世城郭へと改修されたのです。

本丸の位置も昔と現在とは異なっており、北条氏時代は現在の本丸から400mほど北西にある八幡山古郭が中心部だったようです。八幡山古郭は東側が海、南西側と北東側に川が流れる攻めにくい地形。箱根と尾根続きになっている西側が唯一の弱点ですが、ここには現在小峯御鐘台堀切と呼ばれている3本の堀切を設けて尾根を遮断しています。

さらに、敵を小田原城まで到達させないように、多数の支城を築いていました。北条氏の支城は、曲輪を囲む長大な横堀や土塁や角馬出での虎口(出入口)防衛が特徴で、地形を最大限に活かした縄張を持つ堅城揃い。北条氏は、これらの城に重臣や一族の将を配置。敵に攻められた場合は、相互に支援できる体制を整えていたのです。


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