千早城の急な斜面を登ると、いかに攻めるのが大変かよく分かります。実際に、激しい籠城戦にもかかわらず落城しませんでした。 攻める鎌倉幕府軍100万人に対し、楠木正成が1000人の兵で千早城を守り切ったという伝承から、「登り切ったら落ちなくなる」といわれ、受験生に人気のスポットでもあります。 金剛山の山頂付近にある国見城を目指す場合は、さらに約2㎞の登山道を登ることになります。 

楠木正成が築いた上赤坂城(楠木城)も攻める

せっかく千早城を攻略したならば、楠木正成ゆかりの上赤坂城と下赤坂城(大阪府)(ともに国指定史跡)にも足をのばしてみるのがおすすめです。 千早神社から北北西に約6㎞、「楠木城」の別名をもつ上赤坂城があります。

上赤坂城は西側の本丸(千畳敷)、東側の二の丸(東の城)から構成。舗装された登城道をたどり、一の木戸、二の木戸、三の木戸、四の木戸の順に踏破し、二の丸、茶碗原、本丸へと続きます。本丸の周囲や、二の丸から北西方向に多くの曲輪が連なっています。 楠木正成が平野将監(ひらのしょうげん)を配して守らせたものの、水が絶たれたため元弘3年(1333)に落城したとされています。 本丸からの眺望は見事で、あべのハルカスや大阪湾、六甲山まで見渡しながら、上赤坂城を重視した楠木正成の気持ちがよく分かるはずです。

下赤坂城と太平記ゆかりの棚田
上赤坂城とともに「赤坂城塞群」を形成していたのが下赤坂城(赤阪城)です。上赤坂城から北西に約2.5km、金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置しています。 楠木正成が下赤坂城を築いたとされるものの残念ながら遺構はほとんど残っていませんが、付近には甲取(かぶとり)や矢場武(やばたけ)など、城を連想させる地名が残っています。

 元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚したため、後醍醐天皇は笠置山(京都府笠置町)に逃れました。これに合わせて挙兵した楠木正成は、下赤坂城を急いで築城したものの、短期間で築いたために落城し、正成はいったん撤退。翌年に正成は下赤坂城を再び奪還するものの再度落城し、千早城での籠城戦の間に鎌倉幕府は滅亡しました。 下赤坂といえば「日本の棚田100選」に選ばれている、美しい棚田の風景も有名です。『太平記』には、「かの赤坂の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして」と記され、歴史的にも大変貴重な棚田であると考えられています。