広岡達朗、87歳。令和のプロ野球界への提言「今でも『オレにまかせろ! 弱いチームは全部、勝たす!』という思いはある」

広岡達朗氏。早大出身。東京六大学の花形スターとして巨人に入団。特に守備の堅実さ、華麗さには定評があった
広岡達朗氏。早大出身。東京六大学の花形スターとして巨人に入団。特に守備の堅実さ、華麗さには定評があった

現役時代は巨人のレギュラーショートとして活躍し(当時、女性人気はナンバーワン!)、指導者としてはヤクルト、西武を日本一に導き「名将」の名をほしいままに。今も歯に衣着せぬ鋭い論評を続ける「球界のレジェンド」広岡達朗(ひろおか・たつろう)氏が週プレに降臨!

■原監督の「マルポーズ」はあまりに情けない!

現役時代は巨人で長嶋茂雄氏と三遊間を組むなど「リーグ屈指の遊撃手」として新人王も獲得した広岡氏。後に指導者としてヤクルト、西武を日本一に導くが、自身の野球の原点は「プロの厳しさをいやというほど味わった、入団当時の巨人軍の野球にある」という。果たして彼の目に古巣・巨人はどう映っているのか?

* * *

――巨人は今季、原辰徳監督が復帰し、5年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

広岡 あの戦力があればセ・リーグで勝つのは当たり前。フロントがあれだけの大金を投じて勝てなかったら監督は辞めたほうがいいですよ。でも、優勝したとはいっても今、巨人らしい選手って誰がいますか?

――広岡さんと同じショートの坂本勇人(はやと)は今季、初めて40本塁打を放ちましたが。

広岡 坂本の守備、あれは捕れる球を捕っているだけでしょ。ちょっとでも「この打球は捕れないな」と思ったら捕りにいかない。私が公式記録員なら全部エラーにしますよ。 

――き、厳しいですね。

広岡 これはイジメじゃなくて彼のために言ってるんです。「あれをエラーにされたらたまらん」って真剣に追いかければ彼はもっとうまくなる。これが指導ですよ。

――なるほど。では広岡さんの考える「巨人らしい選手」とはどんなものですか?

広岡 「あの選手のマネをしたら間違いない」とみんなから思われ、憧れを抱かれる選手ですよ。今、誰がいますか? 投手では菅野智之、山口俊らぶくぶく太ったのが何人もいるし、何億円ももらってベンチに座っている阿部慎之助もダメ。

彼は本来、4番を打つ選手ですよ。4番で結果が出せなくなった時点で自分からユニフォームを脱ぐくらいのプライドを持たないと。巨人のユニフォームを着るということは、そういうことです。

――今季から復帰して、5年ぶりの優勝を果たした原監督についてはどうご覧になっていますか?

広岡 監督がホームランを打った選手を迎えるときにこんなポーズ(両手で頭上に輪を描く)をするようになったら終わり。もっと毅然(きぜん)としているべきです。世間は「名将」と持ち上げますけどあまりに情けない。FAでやって来た丸佳浩に対するナインの態度も同じです。

先日亡くなった金田正一が国鉄から鳴り物入りで巨人に来たとき、最初は皆、声なんかかけずにじっと彼を観察していましたよ。

すると彼はよく食べ、よく練習し、よく走る。意欲もあるし、野球に関してはマジメだとわかった。じゃあみんなで金田を助けてやるかとなった。それが巨人軍のプライドですよ。

■ヤクルト監督時代の「管理野球」の真相

現役引退後、広島で指導者の道を歩み始めた広岡氏はその後、ヤクルト、西武で監督を歴任。共に日本一に導き「名将」の名をほしいままに。だが一方で、選手の私生活までをも厳しく管理する「管理野球」は物議を醸した。ここからは指導者時代のさまざまな逸話をご本人と検証する。

* * *

――ヤクルトの監督時代は選手の食事や、生活全般までをも厳しく管理。当時は「合宿所や遠征先の宿舎で選手たちの冷蔵庫の中身をチェックする」というまことしやかな噂も流れました。

広岡 冷蔵庫をチェックしていたのは当時コーチだった森祇晶(まさあき)ですよ。でも彼は頭がいいから「監督の命令だ」って言うわけ。西武のときも工藤公康が「広岡さんに50m走を100本やらされた」とか言うんだけど、これも森。

私は一回も「やれ」と言った覚えはないからね。きっと森が私の意図を汲(く)んでそういうことをしたんだろうね。

――選手の体質改善のために玄米食を勧めたり、肉やアルコール、コーラを禁止する徹底した食事制限も話題となりました。

広岡 あなた、肉は食べるの? 肉は酸化している腐敗物ですよ。若い頃はどれだけ好きなものを食べても体が中和するからいいけど、25歳を過ぎるとその能力が衰えてくるから極力、酸性のものを減らさなきゃいけない。そういうものを無自覚に体内に取り入れていれば体調を崩すのは当然ですよ。

――ヤクルト時代の教え子、八重樫幸雄さんが「ある日、広岡さんが選手全員を集めて、コップの中のコーラにどこから持ってきたのか白い歯を放り込んだら、歯が一瞬で溶けて消えた」とおっしゃっていたのですが、本当ですか?

広岡 そんなことあったかな? でも、コーラの中に釘を入れたらすぐに錆(さ)びますから、そりゃ体もボロボロになりますよ。だから選手には、そんなに飲みたいならプラッシーを飲めと。

――当時、米屋で売っていた果汁入り飲料ですね。もうひとつ、これも教え子の安田猛さんに聞いたのですが「開幕前の決起イベントでも広岡さんの指示で乾杯はビールじゃなくてヤクルトだった」と。「そこまでしないといけないのか」と。

広岡 それも記憶にない......でも、グラウンドの中でも外でもやるべきことをやれば勝てるようになるんです。当時のヤクルトは万年Bクラスだったけど、ハッタリじゃなくて私は3年で本当に優勝させる自信があった。

1年目はローテーションの整備。2年目は打撃と走塁。そして3年目は巨人コンプレックスの払拭(ふっしょく)。選手には最初から「オレの言うとおりにすれば必ず勝てる!」と言ってたけど、実際に勝ちだすと選手もだんだんと信用してくれるようになる。やっぱり強くなるには選手を洗脳しなきゃいかん。

――広岡さんは前身の国鉄球団創設から29年目でチームを初優勝に導かれました。今年、ヤクルトは球団創設50周年を記念し、7月に神宮球場で歴代OBが集う「ドリームゲーム」を開催しましたが、そこに広岡さんの姿はありませんでした。

広岡 姿がないも何も案内状すら来てないんだから。当時は私たちも選手も苦労したけど、その結果の初優勝だし、それがあるからヤクルトの今がある。せめて案内状だけでも欲しかったね。

――もし、案内状が届いていたら、参加されていましたか?

広岡 あいにく足が悪いから参加は断ったとは思うけど、ビデオでもなんでも協力する用意はあったのにね。私を誰だと思っているんだと。今、ヤクルトが低迷しているのもそういうところでしょう。世間は「野村、野村」と騒いでいるけど、「創設29年目で初優勝させたのはオレだ」というプライドは持っていますから。

――節目のシーズンながら今季、ヤクルトはセ・リーグで断トツの最下位でした。どうご覧になっていましたか。

広岡 バレンティンも村上宗隆もたくさんホームランを打ったけど、最下位じゃ意味ないでしょ。彼らは自分が打つことばっかりで、真剣に勝とうと思ってないですよ。だってチャンスでも平気で三振するじゃない。

私だったら絶対許さない。「頑張る」のと「勝つために頑張る」は全然違うんです。私が監督なら、自分の記録を作るためにチームを利用する選手はいらないですよ。

■西武黄金時代を築いた「必勝法」と「必敗法」

――その後、広岡さんは西武の監督に就任し、4年間で3度の優勝を果たされます。石毛宏典さんや辻発彦現監督ら、当時在籍していた多くの選手から「90年代の西武黄金時代の礎を築いたのは広岡さんだ」と伺いました。

広岡 当時は若くて未熟な選手が多かったから、私たちも一生懸命教えたし、彼らも貪欲にそれを吸収した。秋山幸二なんて最初、全然打てなかったけど、当時の長池徳士(あつし)打撃コーチがつきっきりで指導してね。もう、ふたりともノイローゼになるくらい練習した。

やっぱり、若いうちに徹底的に叩かなきゃダメですよ。根気強く反復していれば大脳を飛び越えて、小脳が無意識に体を動かすようになる。これを理解できれば野村克也も王貞治も、もっといい指導者になれたんだけどね。

――その秋山さんから、「当時の西武には必勝法だけでなく、これをやったら絶対に負ける必敗法という虎の巻があって、徹底的に叩き込まれた」と伺いました。これは広岡さんが考案したものですか?

広岡 あったけど、私が考えたものじゃない。あれはすでに広島にあったものを教えただけです。おそらくもともとはアメリカにあったものを、誰かが広島に持ち込んだんじゃないのかな。

――どんな内容ですか?

広岡 必勝法、必敗法、それぞれ70ヵ条ずつあって、例えば「必勝法①常にベストコンディションを保て」「必敗法①ベンチの中の弁護士は嫌い」とかね。これはベンチで言い訳するヤツはいらないという意味。

西武のときはみんなに覚えさせて、たまに名指しして答えさせました。でも、田淵幸一には事前に「おまえにはここを当てるから、こう答えろ」って伝えておいてね。ベテランに恥をかかせるわけにはいかないから(笑)。

――今季、西武をV2に導いた辻監督は「広岡さんが自らグラブを持って指導してくれたことが忘れられない」と話していました。

広岡 当時は「おまえの格好はなっとらんよ」って身振り手振りで選手に教えました。辻は入団したときから気骨のある選手でね。教えてすぐに「わかりました!」って言う選手は身につかないのが多いけど、彼は自分が納得しないと絶対に変えない。

だけど納得したらすぐにやる。彼は監督になった今も自らグラブを持って野手に守備指導をしているみたいですが、そういうのを聞くとうれしくなりますよ。

■再び監督をやるならばヘッドコーチはあの男

「正しい野球を後世に残すのが自身の使命」と語る広岡氏。選手への教育、指導に関する熱意は今も並々ならぬものがある。ここからは理想のリーダー像、指導者像を聞いた。

* * *

――広岡さんは就任前までは弱小チームだったヤクルト、西武を優勝に導きましたが、現役生活を送った巨人で監督をしたいという思いはなかったのですか?

広岡 ない。あるわけない。

――なぜですか?

広岡 だって巨人の監督だったらいつでも勝てる。ずーっと勝っていたって面白くないじゃない。弱いチームを強くするのが男というものでしょう。

――弱いチームを鍛え上げて強くするのが広岡さんの美学だと。

広岡 それと選手を預かる以上、最低でも10年間はプロとして認められる選手をつくるべきなんです。自分が辞めて、時代が変わっても続いていくものを教育して、残す。それが指導者の責任です。

ヤクルトの監督時代、当時の松園(尚巳)オーナーが立派だったのは「縁あってドラフトで取った選手を上手にして勝ってくれ」とよく言っていたこと。彼はトレードも大嫌いでね。巨人みたいに次はあれを獲(と)ろう、これを獲ろうっていうのは無責任でしょう。

――仮に今、お話があれば監督を引き受けようという思いはありますか?

広岡 チャンスがあるなら、もう一度監督をしてみたいという思いはあるね。

――ちなみに、どの球団でやりたいですか?

広岡 どこでも。弱いチームは全部勝たす(笑)。「オレにまかせろ。言うとおりにすれば必ず勝てる!」と言えなければ指導者失格でしょう。「選手の自主性にまかせる」なんて指導をしていたら、その監督の値打ちなんてありませんよ。

――今の時代、なかなかそこまで断言してくれるリーダーは少ないですね。では再び広岡監督が実現した際のヘッドコーチはどなたですか?

広岡 森祇晶しかいないでしょう。森は選手を育てることはできないけれど、とにかく頭が良くて参謀として優秀。私は今でも、彼の能力は買っていますから。

――最後に。昔、『がんばれ!! タブチくん!!』というマンガが一世を風靡(ふうび)し、そこには広岡さんも登場されていました。怒りっぽくて陰険なキャラクターだったので、勝手に怖い方だと思っていたのですが、今日はその印象が覆りました。

広岡 そうらしいね。見たことはないけど、あのマンガの影響で、いまだにみんな私のことを怖がっているから(笑)。本当はこうして、いろんなことを話してわかってもらいたい思いもあるけど、あのマンガのおかげで世間の誤解は解けていないままだね(笑)。

●広岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ、広島県出身。呉三津田高校から早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退後は広島、ヤクルトのコーチを経て、76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年に西武の監督に就任し4年間で3度優勝(うち日本一2度)。92年に野球殿堂入り

取材・文/長谷川晶一 撮影/下城英悟


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