バンザイのなか、出征していった軍用犬 ほとんどが帰らなかった

兵士と捜索に当たる、旧陸軍歩兵第37連隊(大阪市)所属の軍用犬=1933年。朝日新聞社データベースから

「祝出征」。のぼり旗を掲げた隊列が繁華街を行進する。沿道の百貨店の窓からは紙吹雪が舞い、日の丸の小旗を持った店員の顔が並ぶ。バンザイする人々の前を、隊列は足早に進んでいく――。太平洋戦争や日中戦争のさなか、出征兵士を見送る壮行会は多くの街で行われた。しかし、80年前に北海道小樽市で撮られた映像の主人公は、人でなく犬だった。

  • (末尾に写真特集があります)

 こんな光景が記録されていたのは、朝日新聞社が戦前に制作した「軍用犬の出征」というタイトルの子ども向けニュース映画だ。フィルムは戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されるなどして米国に渡ったが、日本に返還され、見つかった。ナレーションは犬たちをこう持ち上げている。

「戦地で兵隊さんたちにまじってたくさんの手柄を立てている軍用犬。これは北海道のある街から出征した軍用犬たちの勇ましい姿です」

 パレードは、小樽の総鎮守で、いまも多くの祭事が執り行われる住吉神社を出発。国道や商店街を抜け、大勢の観衆が待つ目抜き通りの交差点を小樽駅に向けて左折するコースを取ったらしい。映像には当時の中心市街地のにぎわいが記録されている。

 撮影日は1939年5月上旬、大陸で日本軍とソ連軍などが衝突したノモンハン事変の直前とみられる。東京朝日新聞の北海樺太版は翌々日紙面で写真2枚を付けて「颯爽(さっそう)たる勇姿 軍用犬が晴れの壮途へ」と報じた。軍用犬協会の機関誌は、翌月号で小樽市長が激励に訪れたこと、小樽駅での式典で尋常小学4年の女子児童が読み上げた作文などを紙幅を割いて載せた。

小樽駅に向けて行進する軍用犬たち=アサヒコドモグラフ「軍用犬の出征」から

軍用犬の生存年数平均は4年1カ月

 軍用犬とは、軍隊での伝令・捜索・警戒などに適した犬を指す。

 注目されたきっかけは、第1次世界大戦だ。毒ガスや戦車、飛行機が新兵器として登場するなか、欧州各国は、犬も積極的に戦場に送り込んだ。戦場で負傷した兵士を捜索し医薬品を届けたり、救護班を導いたりする「衛生犬」などが登場。犬が戦争で「使える」ことを示した。

 欧州の戦場での活躍を知った日本陸軍は「軍用犬研究班」を設置。31年の満州事変では関東軍の軍犬隊が出動し、死んだ犬の話は、戦意高揚のため大幅に脚色されて小学校の国語の教科書に載せられた。

 軍用犬たちの記録は多くない。「日本の戦争と動物たち」(汐文社)の著者で東京都歴史教育者協議会会長の東海林次男さん(68)は、37年の盧溝橋事件を機に勃発した日中戦争から太平洋戦争終戦までの8年間で、5万〜10万頭の犬が戦地に赴いたとみる。

 中国大陸に派遣された犬たちは、警備や哨戒、伝令などの任務を与えられたほか、陣地設営に動員された中国人労工の見張りなどにもかり出された。昨年中国・東寧県を訪れた東海林さんは旧日本軍要塞(ようさい)跡で、日本の軍用犬が労働者をかみ殺したことを伝える説明板を目撃している。

 戦場での生活は犬にも過酷だった様子もうかがわれる。関東軍の将校機関誌「完勝」第23号(45年5月発行)に掲載された論文は、「軍犬は管理が難しく病気にかかりやすい……生存年数平均は4年1カ月、部隊における使役期間は2年4カ月に過ぎない」との統計を紹介している。

 国外に配備された軍用犬たちは終戦時、復員船に乗ることはかなわず、ほぼすべてが飼い主の元に戻れなかったとみられる。現地で引き取られた犬もいたが「食糧不足で食用に供された犬もあった」(東海林さん)という。

 91年に中国・山東省済南市で出版された書籍「侵華日俘大遣返」(中国侵略した日本人捕虜の大送還)は、優秀な犬を接収した国民党軍が再訓練を試みたが、犬たちは日本語の命令以外は一切聞かなかったため、ほとんど殺処分された、とする逸話を伝える。

飼い主は亡くなるまでアルマの写真を飾っていた

 「武運長久」と書かれた日の丸の旗を首元に飾ってピンと耳を立てた、りりしいシェパードの姿。小樽でのパレードから3年後の42年、太平洋戦争のさなかに、札幌から出征した「アルマ号」を地元の写真館で撮った記念写真だ。

 収集家からこの写真をたまたま見せられた作家・水野宗徳さん(47)は、犬好きな青年と戦地に赴いた犬の物語を構想、2010年に小説「さよなら、アルマ」(サンクチュアリ出版)を出版した。同年、小説はドラマ化され、大きな反響を呼んだ。

 執筆当時、水野さんはアルマの飼い主の消息を調べたがわからなかった。今回、朝日新聞が調べたところ、飼い主は仁木町に住む農業岩井綾子さん(68)の祖父母、故江上雅巳さん・シゲヲさん夫妻だとわかった。犬の世話はシゲヲさんの役目で、1975年に71歳で没するまで自室でアルマの写真を額に飾っていたという。

岩井綾子さん(左)方を訪ねた水野宗徳さん。「北海道は広いので、アルマ号もきっと全速力で思いっきり走れたことでしょう」

「なぜ犬の写真があるの?」。おばあちゃん子だった岩井さんは小さい頃、部屋の写真について尋ねたことがある。戦前に札幌・円山で燃料店を経営していた江上家では、乳を搾るためヤギを飼っていた。シゲヲさんは近くの円山公園にヤギの餌の草を取りに行くとき、ヘビよけにアルマを荷車につないで連れて行っていたという。アルマは倉庫の炭や石炭を守る頼もしい番犬でもあった。

「軍用犬として育てて供出したんだよ」。シゲヲさんは岩井さんにそう語った。アルマとの生活は長くなかった。アルマの写真を戦後も飾り続けたのは、戦争で心ならずも手放した悔いを終生持ち続けていたからではないか。岩井さんはそう想像する。

「祖母は子や孫たちにも生き物にも、同じように愛情を注ぐ人でした」

 岩井さん方には、アルマとシゲヲさんが一緒の写真が残されていた。舌を出して前脚を預けるアルマを、和服のシゲヲさんは優しく抱きかかえていた。

戦前に札幌の写真館で撮影された、故江上シゲヲさんと軍用犬アルマ号の写真=岩井綾子さん提供

 世界各国の軍隊は今も軍用犬を戦野に走らせる。10月、シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)の最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者を追い詰め自爆させたのも、米軍特殊部隊の軍用犬だった。

 同月、岩井さん宅を訪れた水野さんはアルマの写真を眺めて、こう言った。

「犬が戦争に行くような世の中にしない責任は、今を生きる僕たちにある」
(戸田拓)


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