かかりつけの動物病院は、隣町の商店街の一角にある。病院の待合室はいつもわりと混んでいた。でも、待ち時間は苦にならなかった。動物たちをながめ、ほかの飼い主さんたちと話をするのは楽しかった。病気のこと、犬や猫との生活のことなどを、初対面であっても、以前からの知りあいのように話すことができた。

(末尾に写真特集があります)

以前からの知り合いのよう

 それは「怪我や病気の動物と暮らしている」ということに加えて、「ここで診てもらえば、きっと大丈夫」という、病院に対する共通の信頼感があったからだと思う。

 この連載では、動物病院の待合室を中心に、飼い主と動物とのものがたりをつづる。

猫語であいさつ

 第1回は、腎臓病の愛猫「ぽんた」の主治医だった動物病院の院長先生の話だ。

 診察室に入ってキャリーバックをからぽんたを出すとき、先生は、いつもぽんたの顔を見て「ニャ」とあいさつをした。

 自宅では猫を飼っているという先生の「ニャ」を聞くと、病院にいるという緊張がほぐれる。

 待合室で出会った、猫を何匹も飼っているベテランの猫飼い婦人によると「猫語で話しかけてくれる男性獣医さんは珍しい」そうだ。

 先生が獣医師になったのは、テレビCMに登場したチワワの影響で起こったペットブーム真っ只中の頃だった。

「暴れることがなかったから」

 獣医師をめざしたきっかけは、近くに競馬場がある東京郊外で育ったから。たびたび遊びに行き、コースを疾走する馬の美しさに魅せられ、馬を診る獣医に憧れた。しかし大学で入った馬術部で、「馬は見るのと接するのとでは大違い」と知り、挫折。その後、興味は小動物に向き、獣医学部卒業後は都内の大手動物病院に就職した。

「最初の1年ぐらいは、先輩医師の保定や検査の手伝いばかりで、あまりおもしろくはなかったですね」

 飼い主からも先輩医師からも信頼され、仕事を任されるとやりがいは出てくる。最初に診た動物と飼い主の記憶はないが、指名してくれた相手は覚えている。おばあさんとその飼い猫で、先生が採血をした際に、はじめて病院で暴れることがなかったから、というのが理由だった。

 同期で採用された5名の新人獣医師のなかで、自分が一番技術的に未熟だと感じていた先生は、指名がかかれば休みを返上して出勤した。一人でも多くの飼い主と接し、1匹1頭でも多くの動物を診ることしか技術を向上させる道はない。そのうち歯車は周りだし、目指す獣医療のかたちも見えてきて、7年後に独立開業をした。

「病院が好きな動物はいないでしょう。だから、できるだけ怖いことや痛いことはしないようにしたいのです」

少し気をつけるだけで

 例えば、動物病院に来るほとんどの動物が経験するであろう採血だ。

「ささいなことですが、針の抜き方刺し方にコツがあって、ちょっと気をつけるだけで、動物たちへの負担が激変するんですよ。採血が上手だとほめられると今でも嬉しい」

 テレビドラマなどの影響で、獣医師の腕の見せ所といえば手術中のメスさばき、と私は想像してしまう。しかし、もっと日常的な「痛み」を先生は優先する。

 動物病院といっても、町のかかりつけ医から、高度な最先端医療を行う専門病院までさまざまだ。飼い主も、人間同様の高度な治療を受けさせたい人と、ある程度、自然に任せたい人がいる。

 飼い主である人間と、実質的な患者である動物、両方の気持ちと状態を汲み取るのが獣医師の仕事でもある。飼い主が1日でも長く延命させたい、と考えていて、動物のほうはしんどそう、という場合、両者が納得のいく結果を導くのは難しい。

「開頭や開胸手術をすれば、10匹に1匹は助かるかもしれない。けれどそこまで負担をかける必要はあるのか、と僕は思います。死生観の問題、でもありますが、‘すさまじいこと’はしなくても穏やかに暮らせるような、それぞれの子に合った質の高い治療していきたいと考えています」

病院を頼ってほしい

「おうちでは、できるだけ可愛がってあげて、嫌なことは病院で」。投薬でも給餌でも皮下点滴でも、家で無理をして行い動物に嫌われるぐらいなら、病院を頼ってほしいと先生は考える。

 これは、投薬以外はうまくできず、やる勇気がなかった私の肩の荷を軽くしてくれた。

「今日はご機嫌どうかニャ」と、いつもぽんたの顔をのぞきこみ、やさしく頭をなでてくれた先生。ときどき、先生に対して牙を見せたこともあったけれど、最後まで通院を嫌がらなかったぽんたは、先生を信頼していたのではないかと思う。