レアル・マドリーの未来は安泰だ。私がそう考えるのは、ラウール・ゴンサレスが率いるカスティージャ(Bチーム)の今シーズンの戦いぶりを見ていて、彼がチーム、あるいはクラブを代表することよってもたらされる意味の大きさを改めて実感しているからだ。

 カスティージャは若いチームだ。それゆえ、様々な問題を抱えている。しかしラウールが注入している野心、献身性、信念、抜け目のなさといった要素がそうした弱点をカバーし、チームに確固とした魅力を与えている。

 クラブがタイミングさえ誤らなければ、近未来の名将の誕生を予感せずにはいられない。近年チームに対する過剰な期待が、メディアの報道を加熱させ、クラブの周辺には常に不穏な空気が漂っている。しかしラウールは、そんな中でも数々のプレッシャーを跳ね除け、なおかつマドリーのスピリットを体現できる稀有な人物だ。

 周囲の人間に「ラウール・マドリー」誕生への期待を口にするたびに、まるで申し合わせたかのように「時期尚早だよ」という答えが返ってくる。ちなみに私が25年前に当時17歳のラウールをトップチームにデビューさせた時にもまったく同じことを言われていた。

 マドリーにはいつの時代もスタイル論争が渦巻いていた。私が監督だった時も伝統に即したスタイルというものを模索し続けたが、ある選手の台頭によって全ての謎が解決した。それがラウールだった。もはやその存在そのものがマドリーと言ってよかった。
 
 そしてラウールは言葉ではなく、プレーと行動によってそのスピリットを我々に示した。感覚的にマドリディスモというものを理解し、表現していた。ラウールがサンティアゴ・ベルナベウに立つ。もうそれだけで、スタジアムの空気は一変した。

 マドリーの伝統を背負うことは、すなわちスペクタクルと献身性を両立して実現しなければならないことをラウールは察知していた。人一倍勝ち負けこだわり続けたが、スポーツマンシップに反するプレーと判断すれば、その一線を越えることは決してなかった。彼の価値観は常にマドリディスモという原理原則に依拠していた。

 結果を求めるにしても、威厳のある勝ち方を彼は望んだ。たとえ敗者になるにしても、その負け方にもこだわった。勝者に握手を求めることも決して忘れなかった。クラブのイムノにも歌われるそうした行動のひとつひとつがキャリアの中で刻まれていき、マドリディスモの体現者としてのラウールが形成されていった。
 
 ラウールは泥臭いプレイヤーだった。ボールタッチを一つ加味して表面的なカッコよさを求めるよりも、直線的に効率的にゴールを目指した。その一方で、常にハードワークが要求されるマドリーの選手としての責務を自覚し、さらにもうひとつ上の努力を実践することを務めた。

 彼はよく「私にはブラジル人的というよりもドイツ人的なところがある」と語っていた。我々フットボールに生きる人間からすればすぐに合点のいく自己評価だ。

 マドリーは常に選手たちが主役を演じ続けたクラブだ。その時代の一線級のタレントをかき集めて常勝軍団を築き上げてきた。しかしファンは同時にどんなにクオリティーやセンスに優れた選手であっても、戦う姿勢を見せることを求めた。

 現役時代のラウールはそうした周囲が追い求めるマドリーの選手としての理想像を誰よりも具現化した人物だった。何をすればマドリディスモを失望させ、何をすればマドリディスモを歓喜させるかを知っていた。監督としてそのイズムの実践を選手たちに限界まで要求できる人物は、彼の右に出る者はいないはずだ。
 
 強い個が結集し、なおかつ各自の努力の土台があってチームの、そしてクラブの成功が生まれる。そこにあるのはチーム、クラブファーストの精神だ。それはサンティアゴ・ベルナベウ会長の時代から育まれてきたマドリーの不変の理念だ。ピラミッド化すると一番上にクラブが位置し、続いてチーム、そして最後に選手の順となる。

 しかし近年は、時代の流れや趨勢も重なって、選手たちの力が増大している。それはその不変のはずのヒエラルキーをも脅かすまでになっている。

 クラブのそうした伝統を誰よりも重んじるのがラウールという人間だ。現役時代の彼は常にチーム、クラブファーストの精神を持ってプレーを続けてきた。もちろんトップチームの監督に就任すれば、真っ先に同じことを選手たちに要求するだろう。そのために誰が犠牲になろうとも、周囲から圧力がかかろうと関係ない。自らが信じてやまないマドリディスモの実現のために花崗岩のような堅固な意志を持って最後までやり遂げるはずだ。

 バルセロナにとってのジョゼップ・グアルディオラ、アトレティコ・マドリーにとってのディエゴ・シメオネがそうであるように、ラウールはマドリディスモのスピリットをそのまま体現できる人物だ。

 今はとにかく現監督のジネディーヌ・ジダンをリスペクトしよう。そして将来のことを考えるなら、ラウールを忘れるべきではない。そしてそれこそがマドリーの伝統をリスペクトする最善の方法なのである。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79〜84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。