元イタリア代表のダニエレ・デ・ロッシは、2020年になって現役引退を発表した。だが、サッカー選手としての人生は、昨春で実質的に終わっていたようだ。

 イタリア・メディアによると、デ・ロッシは母国の雑誌『GQ』で「自分の本当の引退は、トリゴリアでの最終日だった」と話している。

「オリンピコに向かうために自分の部屋を出る時に思ったんだ。このドアを閉めるのはこれが最後なんだとね。そう思ったら体が震えるかのようだった。打ちひしがれたよ」

 ローマから契約を延長しないと告げられたデ・ロッシには、イタリアのほかのクラブからも誘いがあったようだ。だが、デ・ロッシは「ローマ以外のイタリアのクラブのユニホームを加えたくなかった」と明かした。
 
「とても素晴らしい物語を台無しにしてしまうと思ったんだ。そして、ボカ・ジュニオルスに行くのはずっと夢だった。光栄だったよ。人として多くの経験ができた。ローマ以外のクラブとしては理想的だった。中国に行くことは考えなかったよ」

 ただ、そのボカでのプレーも長くは続かなかった。引退したデ・ロッシは「元気ならボカでもローマでも、世界のどこのチームでもプレーできる」と答えている。

「でも、いつ元気でいられる? ほとんどそんなことがない。怪我で考えさせられたのさ。行ったり来たりになっていた。36歳で身体は消耗している。金も十分にある。もう終わりだと言うほうが良かった」

 長きにわたるローマでの日々には、フランチェスコ・トッティの存在が欠かせなかった。もちろん、衝突したこともある。デ・ロッシは「20年も一緒にプレーしたんだ」と述べた。

「ゴールのたびに抱き合って、ピッチの外でも付き合いがあった。大喧嘩したことだってあったよ。1か月も口を利かないこともあった。去年もね。でも、いつだって最後は大笑いさ。演じたものではなく、真の生活だった」

 そんなデ・ロッシにとって、晩年のトッティがクラブやルチアーノ・スパレッティ監督との衝突で騒がれたのはつらかったようだ。デ・ロッシは「悪夢のような思い出の時期だ」と話している。
 
「両親の喧嘩を見ている子どもみたいに感じていた。トッティはさっき言ったような存在し、スパレッティともたくさんのことを分かち合ったんだ。彼にも大きな敬意を払っていた。あのバカげた状況は嫌だったね。チームが勝ってもスパレッティはブーイングされ、一方でトッティがローマのためになることを考えていないなんて言う声まであった」

 これから指導者を目指すデ・ロッシは「ユースには父がいる。クラブとの関係は切れていない。ライセンスを取得したら、プリマベーラ(U-19)とかを率いることもできる」と、ローマ復帰に言及した。

 そのうえで、ローマのトップチームで指揮を執ることについては「ローマは偉大なクラブだ。選手として愛されたからというだけで求めることはできない」と慎重だ。
 
「まずは自分にそれができることを示さなければいけない。3連敗したら、自分が『未来のキャプテン』と言われた選手だったことなど人は忘れてしまう。そして結果を要求する。それは正しいことだ。それに、パウロ・フォンセカ(現監督)に迷惑をかけたくない。彼は優秀で、長く続けると思う」

 それでも、サポーターはいつかその日が訪れることを願っている。愛するローマを、愛するデ・ロッシが監督として率いるその日を――。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部