タイの友人がLINEにお釈迦様の言葉を入れてきた。

「お釈迦さんが生きておられた2560年前にも疫病はあったと思う。そんな時にお釈迦さんが言われたことは『執着を離れよ』『諦めが肝心かと』。

『諦め』とは、ネガティブな意味ではなく、明らかに見るたとえ。悪魔や不幸が来ても、それが悟りの機縁になるなら、悪魔や不幸にありがとうと、手を合わせて頭が下がる。転換の一道がそこに開かれる。

 人間は、出来が悪い。だからこそ仏法に出会うことが出来る……」と。

友人はそんな言葉を、スマホを通して送ってくれた。

 きっかけは「新型コロナウイルス」だ。LINEでその話題が出た中で、タイのチェンマイでは有名な仏教徒「アーチャン マン」の話となり、お釈迦さんの話へと発展した。

 まだまだ予断を許さない状況に、僕は彼に本音を綴った。

「人間は弱い」

 僕はお釈迦さんも知らないし、歴史も得意ではない。昔の人が何を言ったか、やったかもそんなに詳しくはない。ただ自分が持つ直感はある。

 人はお金と命と名前で生きている。コロナ禍の中で、お金を取るか命を取るか? 友人は命に決まっているという。でも命より大事なモノがあるとしたら……。
 死んでしまったら、その命より大事な何かは出来ないし、守れない。

  僕は縁起が悪くて申し訳ないが、とことわりつつ友人にこんな返信をした。
「でも、きっとあなた(友人)の弟子が試合前に事故に遭ったとしたら……、あるいは僕が監督で試合前に交通事故に遭ったとしたら……。生死をさまよい、目が覚めて言うことは『試合は? 試合に行かなくては!』だと思う」

 友人はタイで弟子を抱え、ムエタイを教えている。自宅の横にリングを作り、ブラジルでサッカーを教えた僕のムエタイ版のようなチャレンジをしている。

 友人への返信で言いたかったのは、つまりは自分にお金や命より大事なことがあるか? 行き着くところは生きることの大切さなのか? 命と生きることは違うのか?

 命より大切なのはサッカー、「サッカー我人生」でいいのか? お釈迦さまはどう考えるのか?(笑)と彼にLINEを返してみた。

 彼が難しい表現で送ってくれたのは、人の精神には「諦めも肝心」という考え方があるということ。

 大騒ぎしないで、落ち着いて今へ感謝しろ! コロナ前の生活を諦めろ。新しい生き方をしろ! 新しい環境で新しい考え方と新しい文化で生きろ! 諦めが肝心だぞ!

お釈迦さんはそんなことが言いたいのかもしれない……と、彼の文章から感じた。
 
 話は少し変わるが、僕の友人のお父さんに関するこんな話がある。

 そのお父さんは有名なハーモニカ奏者で、97歳で亡くなってしまったのだが、年齢も80歳を過ぎた頃のエピソードだ。

 世界的なハーモニカ奏者のお父さんは、ドイツへの演奏旅行の途中で風邪をひいて耳が聞こえなくてもハンディを吹き飛ばし演奏したという。

 そんなお父さんがある年のクリスマスイブ、タクシーから降りた瞬間、バイクに跳ねられて病院に運ばれたという。翌日、ベッドで自分の顔を見ると、顔が紫色に腫れ上がってしまっていた。そんなお父さんの最初の言葉は「困ったことになった。年明け沖縄で演奏しないといけないんだけど、どうしよう」だったという。

 周りはヒヤヒヤものだ。それどころではない容体のなかで出た言葉が、ハーモニカなのだ。ハーモニカの演奏を心配しているのだから、周りはお父さんの身体を心配する。高齢者でもあるし当然だろう。

 さて、コロナ禍では全てを自粛すれば良いのではあろうか? 大好きな友達に会えず、学校は全て休校。人生を懸けて初めた事業も社会的距離を取るためにテレワークになる。

 常連さんのために毎日、食材を仕入れてお客さんの喜ぶ顔が見たいという大将、女将さんの店も閉めなければいけなくなる。

 サッカーはチームに感染者が出れば、当然ネガティブになる。サッカーのない生活は死んだも同然というファンに試合も見せられない。生命を懸けて闘っているつもりが練習まで出来なくなる。緊急事態宣言が出れば、市と県の施設は貸してももらえない。閉めることになる。

 未来の夢に向かって頑張っている子どもたちの行き場もなく、「外で遊びなさい」が家でやれるリフティングの動画を一所懸命、ひとりで行なう。本来なら仲間とやるサッカーができない。もちろんサッカーだけではない。全てのスポーツカテゴリーの少年、少女がそうなっている。

「コロナよりサッカーが大事だ!」とは大きな声で言いたいが言えない。

 ハーモニカ奏者のお父さんはもちろん医者に止められたと思うが、自分が大事故に遭っても、ハーモニカを演奏することが好きだ、大事だ、という生き方を97歳まで貫いた。そんなお父さんが羨ましく、好きだ。

 もちろんコロナ対策をしなければいけない。コロナの予防をしっかり知り、忠実に意識しなければいけない。コロナは怖い、舐めてはいけない。だからこそプロフェッショナルとして、エンターテイナーとして、Jリーグ、サッカー界はどう判断するかが問われる。

 Jリーグはどんな形になろうと、必ず「やる!」。それがプロの生き方だから。初めから何もやらないのは簡単だ。リスクを冒さない。

 しかし今、医療に携わる人、食料品を売る人、TVで情報を発信してくれている人。たくさんの人がこんな状況でも身体を張ってくれている。

 サッカー界ができることが何も「やらないこと」では寂しい。

「諦めが肝心」の意味は? これが人生だと思う。

2020年4月30日
三浦泰年