今でこそ在籍6年になる柏のイメージが強いクリスティアーノだが、Jデビューは2013年の栃木で果たした。その年、クリスティアーノはJ2の舞台で、年間40試合に出場して16ゴール・12アシストという暴れぶりで、栃木どころかJ2の多くのファン・サポーターの耳目を集めた。そしてシーズンが終わると甲府に完全移籍したのだ。

 栃木に加入前の所属はオーストリアのレッドブル・ザルツブルグ。その10番を背負うエリートだったが、12-13シーズンのクリスティアーノは、チームの監督が代わったことによる戦術的な理由から出場機会を失っていた。その時にタイミングよくオファーを出したのが栃木だった。

 当時の栃木は松田浩(現・長崎育成部長)体制の5年目。その2年前にはJ2に降格したFC東京と夏場まで首位攻防を演じるなど、J1昇格へ足場を固めていた。いざJ1昇格へ勝負の年と位置付けられた13年。その補強の目玉としてクリスティアーノ獲得に多額の資金が投じられ、複数のオファーがあった欧州クラブにも競り勝ち、日本行きを決断させたという。
 
 当時の栃木にはクラブ史上初めて外国人で主将を担ったパウリーニョ(現・岡山)がいた。母は国語の教師をしており、パウリーニョは誰からも好かれる人格者で、チームにやってくるブラジル人の世話役だった。そのパウリーニョがザルツブルグからの移籍先を逡巡していたクリスティアーノを電話で口説き落としたと聞く。

「日本は素晴らしいぞ。生活は不自由がないし、皆が穏やかだ。栃木の雰囲気も非常に温かい。後悔なんて絶対にしない」

 その言葉を信じて栃木にやって来たクリスティアーノはパウリーニョの他、ブラジル出身で日本に帰化した三都主アレサンドロらに迎え入れられた。サビアも交えたカルテットは非常に仲がよく、試合の移動時間にはオンラインのレーシングゲームで競い合っていた。そうして実際の試合で誰かがゴールを決めれば4人が横並びになり、レーシングゲームのようにハンドルを握って競い合う仕草のパフォーマンスで観衆を大いに盛り上げた。

 4人は栃木にあるブラジル料理店『ダ・ネイデ』で毎日のように肉を頬張りながら世間話で盛り上がった。ダ・ネイデの日系ブラジル人の“お母さん”も店にやってくる彼らを可愛がる世話好きな人だった。
 ピッチレベルでのアシスト役は、松田監督が担った。ブラジル留学経験のある松田監督はポルトガル語が堪能で、クリスティアーノとの意思疎通に問題がなかったのだ。

 松田監督が構築するチームは組織性に優れ、その根幹となるゾーンディフェンスを機能させるには、全員が細かな原理原則を理解して周りと連動しなければいけなかった。その点では、栃木在籍3年目のパウリーニョ、ポルトガル語を操る松田監督、ピッチ上の動きの塩梅を伝えてくれる三都主がいたのはクリスティアーノにとっては大きかった。

 クリスティアーノは決められた一定の守備タスクをこせば、あとは自由だった。持ち前のスピードとパワーを十二分に発揮し、現在もそうであるように、長いレンジからのミドルやFKを次々と決めていった。元々実力がある選手にプレーしやすい環境が用意されたのだから、成功するまで時間はかからなかった。
 
 栃木はクリスティアーノが加入したこの年、当時J2に降格したG大阪にも、クリスティアーノの得点などを含む4ゴールで大勝した。今でもクラブ史として語り継がれる金星のひとつだ。この年、栃木はクラブ史上最高位となるJ2での9位に入ったが、G大阪戦の金星といい、やはりクリスティアーノの存在があってこそであった。

取材・文●鈴木康浩(フリーライター)