結果は分かっているのに、索引の「ふ」の欄を指でなぞってみる。やっぱり、ない。2020年シーズンの選手名鑑に、「藤本淳吾」の名前は載っていない。

 ガンバ大阪で4年目を迎えた昨季は、夏にJ2の京都サンガF.C.にレンタル移籍。年が明けてから8日後、いずれのクラブとの契約満了が発表される。次なる新天地はどこになるのか。その知らせが一向に届かない。現役引退のリリースもない。

 そうこうしているうちに、選手名鑑は校了。だから、分かっている。分厚いその本に「藤本淳吾」の顔写真も、キャリア表も、詳細なデータも見つけられないことを。

 リーグ戦が開幕する頃にはさすがに決まっているだろう。だが、なんの音沙汰もない。オフィシャルブログの更新も昨夏から途絶えている。いったい、どうなっているのか。現状を知るだけならいくらでも手段はあるが、ここまでの経緯と、これからについて、本人に直接話を訊きたいと思った。

 オンラインでの取材許可を得て、画面に映る藤本を眺めると、昨季の短髪からそれなりに髪が伸びて、36歳という年齢のわりには若々しい印象を受けた。

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――まずは昨シーズンについて聞かせてほしい。前半戦はG大阪で出場2試合、後半戦は京都で8試合という成績。数字的にも納得できないと思うけど、振り返ると?
「去年というより、その前のシーズンに監督がレヴィー(・クルピ)からツネさん(宮本恒靖)に代わって、(小野瀬)康介が移籍してきて、そこから……。まあ、同じポジションだし、自分としては結果を出しながら出場機会をうかがおう、とは思っていた。半年間はそういう風に過ごして、去年はこのまま出番が少なくなるのか、そこは自分次第だと考えていたけど、キャンプ中や開幕前ぐらいから、チームの構想にあんまり入ってなさそうだな、と」

――実感があった?
「そうそう。開幕戦(横浜戦/●2-3)もメンバーから外れたし。若手に切り替えようとしていたのかな。それでもルヴァンカップではチャンスを掴んで、リーグ戦は2節の清水戦で途中から出たりしたけど、自分としては、“絶対的な人”でも中心選手でもない、メンバーに入るか入れないかぐらいの位置付けだと思っていた。だから、ツネさんに話を聞きに行ったりもした」
 
――自分が置かれている状況について?
「監督はどういうイメージなんだろうって。練習でも点を取ったり、スタメン組とサブ組に分かれたゲーム形式のメニューでも、やれていた感覚があったから。でも、もしかしたら自分の中の“やれている”と、監督の求めているプレーがズレているのかもしれない。それを確認するためにも聞きにいった」

――宮本監督はどんな話を?
「もちろん、戦力として考えてくれている、と。ただ、対戦相手に合わせてメンバーを決めているみたいで、それは4バックしかり、3バックしかり、スタメンしかり、サブしかりで。たとえば、走力が必要な相手なら自分は外れるかもしれないし、こっちがボールを握れてポゼッションできる相手なら、そういう時間帯に出るとか」

――それでも、リーグ戦では思うように出場機会を得られず、7月に京都にレンタル移籍。決断の理由は?
「単純に試合に出たかった、それが一番かな。試合をして、サッカーを楽しみたかった」
 
――移籍を決断するまでは悩んだ?
「そりゃ、悩みましたよ。去年、ガンバに残ったのも、やれる自信はあったし。もう一度、奮起してやってやろうと思っていた。ただ、半年経っても状況は変わらなくて、ツネさんがJ3(U-23チーム)で指導されていた若手選手たちも力をつけてきている。それなら、もうしょうがないかなって。それで京都から話をいただいて、強化部には(名古屋時代にチームメイトだった)巻佑樹がいたし、チームにも名古屋で一緒にプレーしていた選手が多くいたから、スムーズに入っていけるんじゃないかなって」

――京都でのデビュー戦は23節の大宮戦。途中出場でピッチに立ったけど、右足の負傷で無念の途中交代……。
「その試合に向けてしっかり準備してきたつもりだったけど、相手に引っ張られながら、無理に行こうとしたら、そこで怪我をしてしまった。残念だったけど、もうどうすることもできないし、それよりも早く治そうと気持ちをすぐに切り替えましたね」
 
――31節の岡山戦で戦列復帰してからは着実に出場数を増やして、移籍後初先発となった34節の鹿児島戦は1-0の完封勝利に貢献。シーズンの終盤戦はサッカーを楽しめただろうし、改めて自分の実力を再確認できたのでは?
「走力的には劣る部分があったかもしれないけど、技術的な部分では、ね。余裕も感じながらプレーできた」

――とはいえ、途中出場がほとんどで、ベンチに座ったまま試合を終えることも。もう少し、ピッチに立ちたかったと思うけど?
「でも、チームにもいろいろと事情はあっただろうし、偉そうなことを言うつもりもなければ、なぜ自分を使ってくれないんだとか、そういう気持ちもなかった。不貞腐れた態度を取るなんて、絶対にダメだってこともよく分かっているから」

――19年シーズンを終えて、いくつかの選択肢があったと思うけど、結果的に京都ともレンタル元のG大阪とも契約を満了。そこはどういう判断で?
「選択肢というか、実際はガンバも、京都も契約満了が事実なわけで。だから、さてどうしようかな、みたいな状況だった」
 
――これまでのキャリアの中で、そういう状況は初めてだと思うけど?
「でも、長く現役を続けていれば、いずれあることだし。もちろん、そうならない選手もいるけど」

――一時的に所属なしとなって、その時の心境は?
「清水から名古屋、名古屋から横浜、横浜からガンバ、去年のガンバから京都もそうだけど、これまでは『ここに行く』と決断して移籍してきた。でも今回は自らが望んだ退団ではないから、残留するという選択肢もなかった。(同年代で横浜の栗原)勇蔵が引退したように、毎年何人か引退する選手がいるなかで、さて自分はどうするか、と」

――昨季最終節の栗原勇蔵の引退セレモニーでは、同じく同学年の榎本哲也(元横浜など)とともに花束を贈呈。その榎本も昨季限りで現役を退いた。仲の良いふたりの引退は、自身にどう影響した?
「素直に、残念だなと思いましたね。まだできるはずだけど、勇蔵は横浜愛を貫いた結果だろうし、テツにはテツの事情があるだろうし。じゃあ自分はどうするのかと考えた時、もうちょっと現役を続けたいという気持ちがあった」
 
――「引退」の二文字が頭をよぎったりもした?
「それもいずれはくることだから。でも、シュンさん(中村俊輔)はまだ41歳でも現役だし、カズさん(三浦知良/53歳)なんてもっと上の年齢でバリバリやっている。ヤットさん(遠藤保仁)だってそうだし、ナラさん(楢﨑正剛)やトゥーさん(田中マルクス闘莉王)も長く現役を続けて、自分もそうありたいと思っていて。でも、なんだろう、ある意味、“ゴール”はもう見えているわけですよね。スタート地点からゴールを見るより、もう余裕でゴールに近い場所にいる。そういう感覚でいるけど、じゃあ、そのゴールがどこにあるのか、自分で決めるのか。ましてや、大卒は10年経てば33歳になる。それを見越して、プロになった時に、10年は頑張ろう、そしてその10年間をどれだけ濃く、楽しいものにできるか、それはずっと考えてここまでやってきた。だから、ゴールは近いとは思っているけど」

――でも、引退という決断は下さなかった。
「さっきも言ったとおり、もうちょっとやりたかったから」

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 これまでのキャリアで初めて所属クラブを失った。だが、スパイクを脱ごうとは思わなかった。とりあえずプロで10年はやる。その目標はすでにクリアして、気心の知れる仲間が引退しても、藤本は現役にこだわった。

 しかし、現実を目の当たりにすれば、迷いも生じてくる。リスタートの算段はつけられたのか。後編では、現在の心境やプレーヤーとしての矜持、外出自粛要請が続くなかでのトレーニング方法、将来の夢などについて語ってもらった。

PROFILE
藤本淳吾 ふじもと・じゅんご/1984年3月24日生まれ、神奈川県出身。173センチ・69キロ。横浜プライマリー―横浜Jrユース―横浜栄FC―桐光学園高―筑波大―清水―名古屋―横浜―G大阪―京都。J1通算328試合・54得点。J2通算8試合・0得点。J3通算4試合・2得点。日本代表通算13試合・1得点。01年U-17世界選手権出場。06年Jリーグ新人王獲得。10・11年Jリーグベストイレブン選出。自慢の左足を駆使して、チームのポゼッションを支え、敵陣バイタルエリアで好パスを配給する攻撃的MF。視野の広い展開力、正確無比なロングキックやサイドチェンジにも定評あり。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

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