フランス・フットボール界で最も有名な記者のひとりで『ワールドサッカーダイジェスト』誌でもお馴染みのヴァンサン・デュリュック氏(『L’EQUIPE』紙)が、新型コロナウィルスとの激闘に勝利して生還した。その告白が、感動と衝撃を呼んでいる。

 デュリュック氏は、フランスが「総とじこもり」に突入した翌日にあたる3月18日、急に発熱に見舞われた。熱は1週間を経ても下がらなかったため、担当医が救急医療部門に行くように指示。もはや新型コロナウィルスに感染したことは明らかだった。だが本人は、テスト後に「間違いなくCovid-19です。それを受け止めたうえで、自宅に戻って療養してください」と言われるものと思っていたという。

 だが違った。日用品も持参していないまま、デュリック氏はランブイエ病院に入院となったのだ。3月26日のことだった。

 そのときは「呼吸困難などはなかった」そうだ。ところが聴診の結果、すでに肺が冒されていることが判明。以降は検査のたびに事態は悪化の一途を辿った。そしてついに、「人工呼吸器をつけ、翌日から僕は呼吸困難に陥り始めた」

 そこから生死をかけた苦闘が始まった。「蘇生処置室に入って、やっと出たかと思うと再び入った。合計すると約20日間も蘇生処置室にいた」という。「経験した人なら、これがどれほど恐怖感を伴うかわかると思う」

「ときに90%の酸素を外からもらう必要があった」という。つまり自力では10%しか吸入できなくなっていたのだ。だが医師団は、気管挿管によって最悪の結果を招くことを恐れた。気管挿管とは、気管にチューブを挿入して肺に直接酸素を送り込む処置だが、状況によって種々の危険を伴い、ミリ単位でも入れ間違えれば命にかかわる。そのため医師団は「気管挿管を避けるため、3日3晩腹ばいになっている覚悟はあるかと聞いてきた」

 「(入院して)3週間ずっと、ほとんど眠らなかった。眠りたくなかった。眠るのを拒絶したんだ」と打ち明ける。眠りに落ちれば、そのまま生還できないかもしれないという恐怖だ。そこで彼は意識を保ったまま激闘する道を選択したのだ。壮絶な闘いである。
 また、その間は新型コロナウィルスに関するどんな些細な記事も、読むのを拒否した。

「ちょうど状態が悪化し始めたころに、パップ・ディウフの逝去を知ったからなんだ」

 元マルセイユ会長だったパップ・ディウフ氏は3月31日、セネガルでコロナウィルスに感染し、フランスに戻れないまま死亡したのだった。以来、「悪いニュースに出くわすのが恐くて、『L’EQUIPE』という言葉を開きたくない日さえあった」という。

 さらに「諦めはしなかったけれど、(命の)危機が最大級になったころは、全てが暗黒で出口が見えないときがあった」と告白。「毎日、前日より悪くなっていって、周囲の会話から自分がこの病気の最悪の状態に近づいていることを理解した。最初は統計にしがみついて、(感染者の)80%は一種の良性、95%パーセントは生き残るって。でも結局、自分は残り5%に近づいていることを悟った」

 新型コロナウィルスの場合、家族さえ見舞いに行けない。だが家族はもとより、ジャーナリスト仲間らが、SMS、メール、メッセージアプリなどのありとあらゆる手段を使って励まし続けた。看護士や介護士が常に充電してくれた携帯とタブレットにしがみついていたそうだ。

「もしメッセージを送るのが有効かどうか自問する人がいたら、僕はこう答える。ウィ、頼れるし、気持ちが楽になるってね。28日間、僕は誰にも会えなかったんだから」

 デュリュック氏は28日間入院し、4月22日についに退院した。「20キロも体重が減り、両足は(元フランス代表のレジェンド)ティガナの足みたいに(細く)なって、寝室から浴室に移動するのにも途中に椅子が必要」だが、とにかく自宅に戻れた。氏はいまもリハビリ中である。

 そんな彼が『L’EQUIPE』紙に談話形式で登場し、世間へふたつのメッセージを送っている。

 ひとつは医療関係者たちの献身を思うことだ。12時間ぶっ続けで食事もとらずに働き続け、すでに退職した医師や他分野の医療関係者までが蘇生に駆けつけていたのを見て、デュリュック氏は「感謝の言葉が見つからない」と話した。そして、過酷な医療現場を目の当たりにした経験を踏まえ、こう語った。

「路上で何でも構わずやっている人たちを見ると、罵りたくなる……。もし(感染の)第二波がきたら、医療関係者たち(の心身)がもつかどうかわからない」。医療関係者に感謝して拍手する行動も広がっているが、「もし40人が、歩道で踊るために拍手をするなら、何の意味もない。踊りたい気持ちはよくわかるが、単純にやってはいけないのだ」

 「40人」「ダンス」というのはフランス特有の喩え。要するに、まだまだ油断せず、外出を控えて接触を絶ち、感染を防がないと、大変なことになるというメッセージだ。

 もうひとつはフットボールとスポーツについてだ。

 彼は「必然的に、自分がカバーしたリヨン対ユベントス(2月26日のチャンピオンズ・リーグ)と関係があるのではないかと疑った。試合後にレストランにも行って、そこにはイタリア人サポーターも来ていたからね」と振り返った。加えて「試合と発症の間に3週間あるから、ウィルスに感染した要因は他にも1000ぐらい心当たりがある」と分析してもいる。

 ただ、ひとつだけ確信していることがある。

「僕はスポーツなしの人生なんて想像できない。もう一度スポーツを生きたい。でも、いつでも、どんな代償を支払ってでも、ではない」

 リーグ・アンの2019-20シーズンは4月30日、中止が決定した。人の命ほど大切なものはない。デュリュック氏の激闘と生還は、この当然の本質を改めて考えさせてくれているのではないだろうか。

 5月2日午後、氏から「ほとんど普通に呼吸できるようになった」とのメッセージが届いた。私は万歳した。

取材・文●結城麻里
text by Marie YUUKI