バブル景気の終局とともに日本経済は退潮し、Jリーグものっぴきならぬ事態に陥った。大手ゼネコンの佐藤工業が、経営不振により横浜フリューゲルスの運営から手を引き、読売新聞社はヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の膨らみ続ける赤字を理由に経営から撤退した。

 そんな1998年のリーグ戦の1試合平均入場者は1万1982人と低調だったが、浦和レッズは2万2706人を動員し、ホームの浦和駒場スタジアムは門前市をなす盛況ぶり。衰えぬ集客力の高さはサッカー文化が根付いた土地柄によるものだが、この年は何と言っても奇才・小野伸二の加入が大きかった。

 ジェフユナイテッド市原(現・千葉)とのリーグ開幕戦にトップ下で先発し、柔らかなワンタッチパスを操る威風堂々たるデビュー戦。というより小野はこの1カ月余り前の2月11日、チームに合流してまだ2日目だというのに、市立船橋高との練習試合で既に攻撃の陣頭指揮を執っていた。遠慮なしにボールを要求し、敵の急所を突くスルーパスを次々と供給。広瀬治というプレースキックの名手を差し置き、CKとFKのキッカーを買って出たのだ。

「バインよりいいね」。原博実監督は鼻の下を伸ばし、90年のワールドカップ・イタリア大会を制した西ドイツ代表の名パサーで、浦和にも在籍したウーベ・バインを超越すると真顔で言ったものだ。
 
 観戦した約700人の大半が試合後、サインをねだって鈴なりの人だかりができたが、小野は2時間以上かけて全員の要求に応えた。プレーの妙に加え優れた人柄とあり、すぐに大勢のパトロンがついた。

 開幕戦から先発の陣容に入り、第2節の横浜F戦で初得点。岡野雅行と大柴健二の快足2トップに必殺のスルーパスを繰り出し、5試合で4勝1敗と好調なチームを支えた。

 ところが好事魔多し。第6節と7節では、コンサドーレ札幌と清水エスパルスにいずれも0−2で完敗。「ミスが怖くて消極的になり、リズムを悪くした」と言う小野は、縦パスばかりを狙う単調なプレーに陥り、シュートもこの2試合はなし。原監督は「縦に急ぎ過ぎてFWにくさびが入らない。前でキープできる選手が必要だ」と打開策を思案する。
 
 FWに指令されたのは、ボランチで先発していた福永泰だ。小野と福永が当意即妙にパス交換する練習風景からヒントを得たそうだ。

 そうして福永は4月25日の第1ステージ第8節の鹿島アントラーズ戦に向け、小野といろんな相談をしながら約束事を決め、こんな金言を授けたのだった。

『できるだけお前の近くにいるから、前を向いて俺を探してくれ。くさびを受けたら伸二に返す。それから自分の(最後の)仕事をしてくれ。ふたりでパス交換して攻撃のリズムをつくろう』

 浦和はカシマスタジアムでのリーグ戦が大の苦手で、Jリーグが始まった93年から7戦全敗。そんな鬼門の地で、小野が変革への糸口をつかむ一戦がキックオフされた。

 2トップは福永と大柴で、その後方に小野。1点を追う前半35分に福永の得点で追い付き、最大の見せ場が後半2分にやって来る。福永に球を預けた小野はすかさずゴール前へと移動。ベギリスタインを経由した後、福永の左クロスを右足ダイレクトで合わせて決勝点を奪った。浦和はさらに2点を追加し、4得点で敵地での初勝利に花を添えた。

 小野は右にわずかに外れた前半36分、バーをたたいた後半9分など惜しい一撃を何本か放った。いずれも小野→福永→小野という約束通りの図式で、この他にもふたりのリズミカルな合作は多数あった。

 中盤で壁パスを使う福永のアイデアは、才気煥発な18歳を再生させ、その後もこの戦法が威力を発揮する。「福永さんに1度当てたことで変化をつけられたし、パスも出しやすかった」と小野は大いに感謝した。
 
 原監督の言葉にも助けられた。

 『パスを出すだけのMFなんて、相手にはちっとも怖くないぞ。もっとシュートを打て』

 2連敗中、小野は主に長いボールを放り込む単純作業が多く、前線にはあまり顔を出さなかった。「シュート力があるのに、まずパスを選択してしまう」と指揮官は嘆息。古典的なゲームメーカーではなく、攻撃を組み立て得点にも絡む近代的なプレーメーカーになれ、と忠告した。

 鹿島戦で“ツーカーの相方”が誕生したことで、小野は福永にボールを渡した後、豪胆に前へ縦へと進出し、ゴールを狙う危険なMFに変身。新人ながら大柴に次ぐチーム2位の9得点をマークした。

 シーズンを総括した天才MFは、思い出に残る試合を3つ挙げ、「中でも鹿島戦のゴールが一番嬉しかった。レッズが初めてアウェーで勝った一戦だし、内容もすごく良かったから」と説明している。

 私にも98年の最高傑作であり、不況がサッカー界に影を落とす中、小野のプレーを見られる喜びと楽しみが増進していった試合でもある。

取材・文●河野 正(フリーライター)

【小野伸二PHOTO】波瀾万丈のキャリアを厳選フォトで振り返る 1997〜2020