1993年夏に“キングカズ”がジェノアと契約して以来、のべ12人の日本人選手がセリエAでプレーしてきた。メディアやファンの目も厳しいこの世界屈指のリーグで、ジャポネーゼたちはいかなる印象を与えたのか――。ベテランのイタリア人記者に訊いた。

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 もしイタリアのどこかのチームが日本人GKを獲得していたならば、セリエAでプレーした日本人選手だけでひとつのチームが作れたはずだ。それもなかなか豪華な。

 イタリアに好印象を残していったサムライは少なくない。中にはその実力を発揮できずに去っていった者もいたが、それでも真面目さ、プロフェッショナル精神、向上心はイタリア人の心に残り、チームメイトたちに良い影響を与えた。日本の伝統的な教育の賜物だろう。

 最初にイタリアにやって来た日本人は三浦知良(現・横浜FC)だった。1993年当時のジェノアの会長アルド・スピネッリは、ヴェルディ川崎でプレーするカズの姿を見て感銘を受けた。そのテクニック以外にも魅力的な点があった。

 イタリアではジェノバ人は一般的に“ケチ”“金に汚い”と言われているが、スピネッリもその例に漏れない。彼が三浦獲得を決めたのは、ジャパンマネーを見越してだった。1試合プレーするごとにスポンサーが金を払う――。こうして契約は成立した。

 結局、三浦は21試合に出場して1ゴールを決め、スピネッリは“円”を手に入れた。1シーズンで契約は終了し、日本のスターは去っていた。しかし、残した功績は小さくない。このパイオニアのおかげで“壁”は取り払われた。イタリア人にとって、それまで日本はサッカー未開の地だった。「世界最高峰」を謳っていたセリエAとは無縁のものだと考えられていた。その概念を打ち壊したのが、このストライカーだったのだ。
 
 おかげで、98年夏に中田英寿がイタリアにやって来た時、「寿司がピザの国に何をしに来たのか」とは、決して言われなかった。おかげで若き司令塔はサッカーに集中することができた。

 それにしてもヒデは本当に優秀だった。残留できれば御の字のペルージャでのデビュー戦で、ユベントスを相手に名刺代わりの2ゴールを奪ったインパクトは絶大だった。今でも多くのイタリア人があの時の衝撃を覚えている。

 翌シーズンの途中に移籍したローマでは、2年目に歴史的スクデット獲得に貢献。イタリアでプレーした日本人の中で、間違いなくもっともレベルの高い選手だった。ライバルだったバンディエーラ(旗頭)のトッティがいなければ、ヒデはローマでもっと活躍できたはずだ。それでも、残した印象はこれ以上ないほどポジティブだった。カズが壁を壊し、ヒデが日本人選手のイメージを変えた。
 
 99年夏にヴェネツィアにやってきたMF名波浩は、「これまでイタリアには存在しなかった最強の日本人選手」という触れ込みだったが、これはマウリツィオ・ザンパリーニ会長のいつもの大仰な物言いのひとつだった。24試合で1ゴールを挙げたものの、ほとんど印象に残るプレーはなかった。シーズン終了とともにチームを去ったが、誰もそれを嘆く者はいなかった。

 同じレフティーでも、2002年夏にイタリアの南部(レッジョ・カラブリア)にやってきたMF中村俊輔(現・横浜FC)はずっと良かった。「素晴らしい左足を持っている」という前評判は間違っていなかった。とりわけFKは掛け値なしに素晴らしかった。ほとんど歩いていたと言っていいほど走らなかった印象があるとはいえ、開幕早々にいきなり3試合連続ゴールを挙げた鮮烈な活躍は忘れられない。

 中村の後に続いた3人はインパクトを残せなかった。FW柳沢敦(03年夏にサンプドリアに加入。メッシーナでもプレー)、MF小笠原満男(06年夏にメッシーナに加入)、FW大黒将志(06年夏にトリノに加入)だ。
 
 06年夏にカターニャに加入したFW森本貴幸(現アビスパ福岡)は素晴らしいタレントだったが、運がなかった。デビューのアウェー戦でいきなりゴールを挙げてサポーターを沸かせたものの、すぐに左足の靭帯を損傷。長欠を余儀なくされ、復帰後も故障前の輝きを取り戻せなかった印象だ。それでも、ファンは彼を愛し、息子のように扱った。北イタリアのノバーラに移籍する時には、皆が涙で見送ったものだった。

 森本がカターニャでプレーしている間に、小柄ながら抜群のスピードを持った、明るい日本人がやって来た。10年夏にチェゼーナに加入した長友佑都(現ガラタサライ)だ。

 ユウトは「カテナチオの国」にやってきた初の日本人DFだ。サイドバックで何度もピンチを救ったかと思えば、鋭い攻撃参加でも貢献した。チェゼーナで半年を過ごした後、名門インテルへ大栄転。ロッカールームでのジョークと、おどけたお辞儀パフォーマンスで、瞬く間にインテリスタの心を掴んだ。

 もちろんサン・シーロでのパフォーマンスも申し分なく、日本人のイメージをあらゆる点で覆した。公式戦210試合で11ゴールという成績は、イタリア人DFでもなかなか残せるものではない。18年冬にトルコに去った時は、誰もが悲しんだものだ。
 
 長友がインテルで活躍している間に、その永遠のライバルであるミランも日本人を手に入れた。CSKAモスクワからやって来た本田圭佑(現ボタフォゴ)だ。10番を背負ったMFは、疑いようもなく能力の高い選手であり、プロ意識もあった。ただ、彼のスタイルはミランの、そしてイタリアのサッカーには向いてはいなかった。

 起用法のミスもあったかもしれないが、本領を発揮したとは言い難い。謙虚とは言えない性格も災いし、ベンチで苦しむ時間が少なくなかった。

 その本田と長友が去り、一時的にセリエAでプレーする日本人はいなくなったが、今シーズンに2人のDFがイタリアに渡ってきた。冨安健洋と吉田麻也だ。

 昨夏にボローニャに加わった冨安は、本職のCBではなく、右SBでレギュラーを確保。冷静な守備だけでなく、ビルドアップやオーバーラップなど攻撃でも貢献し、早くも不可欠な存在となっている。一方、今冬にサウサンプトンからサンプドリアレンタルされてきた吉田は、まだほとんどピッチに立っていないため、評価を下すのは時期尚早だ。

文●パオロ・フォルコリン
翻訳●利根川晶子