芸能界で指折りのJリーグファンとして知られるのが、お笑いコンビ「ペナルティ」のワッキーだ。その熱さはJ1の年間全306試合をフル視聴するほどで、YouTubeの「Jリーグ公式チャンネル」やJ SPORTSの看板番組「Foot!」など様々なメディアで、その愛好家ぶりを披露している。

 ワッキー自身、サッカーに青春を捧げたひとりで、高校時代は千葉の名門・市立船橋高のサッカー部に在籍していたのは有名だ。布啓一郎監督(現・松本山雅FC監督)の下、1学年上で相方のヒデらとともに活躍。インターハイで全国制覇を経験し、3年次にはキャプテンを担い、全国高校選手権にも出場した。

 そんなワッキーにとって、高校時代に強烈なインパクトを受けた選手が名良橋晃と名波浩だった。

 千葉英和高で1学年上だった名良橋とは千葉県の新人戦でマッチアップ。今でもその運動能力の高さをハッキリと覚えているという。

「監督には『とにかく名良橋を止めろ』と言われて、僕がマンマークでつくことになったんですけど、その時に図抜けた身体能力に驚かされました。僕は当時身長が178センチくらいで、名良橋さんは170センチあるかないか。空中戦なら圧倒的に僕のほうが有利なはずなのに、1回もヘディングで競り勝てなかったんですよ。フィジカルが半端なくて、なんだ、この人はって。

 キック力も半端じゃなかったですよ。FKはすべて名良橋さんが蹴っていたんですけど、ストレート系のズドンというシュートがもう恐ろしくて、恐ろしくて……、壁に入るのが本当に嫌でした。今振り返ると『ロベカルかよ!』ってほど強烈でしたね。それにほら、あの人は顔がでかくて身体が小さいでしょ。そういう体つきもなんか怖かったです(笑)」
 
 そんな名良橋とは現在、J SPORTSの番組「Foot!」で共演。冗談を言い合う仲ながらも、現役時代に元日本代表でも活躍した名SBに称賛を惜しまない。

「現代サッカーではSBがサイドをダダダっと上がってクロスを上げたりシュートを打ったりするのが普通ですけど、日本でそのモデルを体現した先駆者が名良橋さんじゃないかなと。

 あの黄金期の鹿島で10年間近くも右SBのポジションを譲らなかったというのは、本当に凄いことですよね。ウッチー(内田篤人)に比べたら地味なタイプかもしれないですが、信頼度は歴代でも抜群に高かったと思います。日本代表でも活躍したのも頷けます。

 あ、そうそう、日本の歴史上ワールドカップでの初得点はゴンさん(中山雅史)ですよね。でも実はあと数センチズレていれば名良橋さんだったかもしれないんですよ。名波からのパスをボレーで合わせてポストに当てていて。今でもその話を本人から聞かされますよ。『初得点はゴンさんだけど、初ポストは俺だったんだ』って自慢気にね。だから、それを聞くたびに言ってやるんですよ、『やかましいわ!』って(笑)」
 
 またワッキーが「僕の世代で一番サッカーが上手い人」と称えるのが、元清水商高の名波だ。

 同学年の名波とは、3年次の全国サッカー選手権で対戦。この時、清水商の司令塔である名波を封じる大役を任されたのが、ワッキーだった。

 1−1の同点で進みPK戦の末に市立船橋高は敗戦。ワッキーにとって高校最後の試合となった。

「翌日の新聞とかでは『名波を封じた』と結構大々的に取り上げられてもらいましたが、僕的には『名波は怪物だった』という印象でしたね。最後にマークを振り切られて同点ゴールをアシストされてしまいましたから。あの時のキックフェイントは今でも鮮明に覚えています」
 
 そして、のちに日本代表の10番を背負うことになったゲームメーカーにも賛辞をおくる。

「天才でしょ。Jリーグで一番強かったと言われていた2002年のジュビロ磐田の最重要人物です。僕らと同年代では断トツで上手かった、同期の誇りです。そういえば以前、現役時代の鬼木達(現・川崎フロンターレ監督/市立船橋高でワッキーの2学年後輩)に話を訊いた時に、『名波さんが一番凄い選手だ』と即答していたんですよね。現役Jリーガーでもやっぱり一目置いている存在なんだなと、改めて凄さを思い知りました」

 大学時代に負った膝の怪我でサッカーと離れ別の道に進んだワッキーだが、実際に対戦したふたりの衝撃は今でも忘れられないようだ。

取材・文●多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

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