今から15年前の2005年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で、世界はアルゼンチンを優勝に導いたリオネル・メッシを発見した。ただ、日本人ファンには、オランダの褐色のウインガーの方が強烈な印象を残したかもしれない。

 クインシー・オウス=アベイエ――。オランイェの背番号7は日本代表との開幕戦で、ひとりだけ別の世界にいるようだった。当時、アーセナルに所属していた19歳は、序盤から周囲の同世代とは次元の違う動きを披露。相手を誘うようにボールを晒し、奪いにくれば、爆発的な加速で置き去りにした。

 7分にはむやみに飛び込めない日本代表の面々を嘲笑うかのように左サイドで起点となり、先制点に繋がるスルーパスを通した。

 その11分後には、自陣中央で相手に囲まれながらもパワフルな身体と巧みなスキルでドリブルを始めると、信じがたいスピードで本田圭佑らをかわし、対面のDFも瞬時に突破。最後はボックス左から折り返し、チームの2点目をお膳立てした。

 オランダはその後、準々決勝で大会を準優勝するナイジェリアに敗れたものの、選手個々のインパクトでは、得点王とMVPに輝いたメッシとオウス=アベイエの間に、それほど大きな差はなかったように思える。

 しかし、そこからのキャリアは全く異なるものとなっていった。

 1986年4月15日、アムステルダム郊外の低所得者居住区でガーナ人の両親のもとに生まれたオウス= アベイエ。幼い頃から、あらゆる犯罪が身近にあったという。それでもフットボールの才能には恵まれ、7歳で名門アヤックスのアカデミーに入団。16歳の時に素行不良を理由にクラブから放出されたものの、すぐさまアーセナルが迎え入れた。

 しかし、ここでもトラブルは続き、05年には暴行の疑いで逮捕までされている。

 翌年1月にスパルタク・モスクワへ移るも、才能が本格的に開花することはなく、以降はセルタ、バーミンガム、カーディフ、ポーツマスへとレンタルを繰り返した。

 10年8月にはアル・サッドへ完全移籍。だが、カタールでも期待を裏切り、その後はマラガ、パナシナイコス、ボアビスタを経て、17年1月に母国のNECで半年間プレーしたのを最後に、30歳で現役から退いた。
 07年にガーナ代表でのプレーを選択し、10年の南アフリカW杯ではセルビア戦とオーストラリア戦に出場。世界の檜舞台にも立つなど、特別な才能を備えていたのは確かだ。しかし、短気な性格と素行の悪さ、そしてかつて自身も「後悔している」と振り返ったロシアへの移籍の失敗などが重なり、ティエリ・アンリにも例えられた才能は萎んでいった。

 それでも33歳になった本人は現在、第二の人生を楽しんでいるようだ。

 かねてから『Blow』の名で覆面ラッパーとして活動し、今年1月には自身の正体、そして初のミックステープをリリースしたことを公表。ちなみに「吹き飛ばした」、「台無しにした」などの意味を持つ『Blow』という名は、「華やかな生活によって、すべてのカネを使い果たした」ことに由来するという。

「俺が育った地域には、『フットボールをしていれば未来がある』なんて言ってくれるロナルド・デブールのような大人はいなかった」
 1月、デジタルメディア『VICE』のオランダ版にそう語ったオウス= アベイエはさらに続ける。

「だから、俺が最初に目指した人間は、そんな地域でカネを生み出している奴らだった。彼らのド派手な車に憧れたな。結果的に違う道( フットボール)を選択したけど、俺は自分の故郷を誇りに思っている。そして、故郷の人々に誇ってもらえるような存在になりたい。フットボーラーだった自分も、現在のアーティストとしての自分も」

文●井川洋一

※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年4月16日号より転載