J2リーグが6月27日、いよいよ再開する。注目選手のひとりに挙げられるのが、今季、栃木SCに加入したFWエスクデロ競飛王だ。プロ15年目、31歳になったアタッカーがインタビューに応じ、様々なテーマについて語ってくれた。アルゼンチンとスペインでプロとしてプレーし、浦和レッズにも在籍したアルゼンチン人の父親のもとで日本国籍を取得。浦和でキャリアをスタートさせ、韓国のKリーグ、中国超級リーグ、京都でプレー。新天地を求めたセルが2020年、栃木のためにそのサッカー人生の全てを懸けて戦う。

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――新型コロナウイルスの影響で栃木県に緊急事態宣言が発出されていた間、セルはどのような1日を過ごしていたの?
「僕たちがこのウイルスを前にしてできることはほぼなくて、栃木SCから宇都宮、栃木に住んでいる皆さんであり、サポーターやファンとの交流などを通じて『元気です』と伝え、少しでも元気になってもらえたら嬉しい。そう思って、何ができるのか、いろんなことを考えていました。

 ただ、やはりサッカー選手。サッカーができないことはすごく辛かった。自粛期間は基本的には家にいるしかなくて、ボールを使えてもリフティングぐらい。3歳からサッカーしかしてこなかったけど、『サッカーをしてはいけない』というのは初めて。もどかしさしかありませんでした」

――全体練習ができない間、心掛けていたことは?
「時間を決めていました。自由に起きたり寝たりするのではなくて、ルーティンを決めて、朝の10時、午後の3時からトレーニングをして、近所に人がいない時間帯に走っていました。空いた時間には本を読んだり、勉強もしています。規則正しい生活をできるだけ保つように心掛けています」

――もちろんサッカー界に限った話ではないものの、先がまったく見えないことが、状況をより困難にしていたと思う。
「僕らの場合、『成果』は試合でしか示せません。チームとしても、目に見える『結果』でしか表せない。『結果』につながるかどうか。サッカーの面で、何をすれば正しいのかは分からない状況で、だから基本的には、しばらく自分との闘いになってくるので、メンタルを崩さないように気を付けています」
 
――改めてセルが栃木SCに加入した経緯と理由を教えてほしい。
「海外や日本の他クラブとも話はしていました。その中で栃木を選んだのは、強化部長の山口さん(山口慶氏)と話をした時、栃木を本気で変えたい、そのために必要としている、と言ってくれた言葉が心に響いて、それが一番に挙げられます。プロとして15年間、いい意味でも、悪い意味でも、給与の面では恵まれた環境でプレーさせてもらってきました。ただ、お金よりも、自分を本当に必要としてくれて、本気で何かを変えたい、同時に自分も一緒に変わりたいと思えるチーム。それが栃木でした。

 必要とされ、自分が幸せを感じながらサッカーできる環境が栃木にあると思いました。山口さんは『恥ずかしいオファーではありますけれど』と言っていましたが、僕を必要としてくれている思いがすごく伝わってきて嬉しかった。もちろんプロですからお金のためにもサッカーをしていますが、それより大事なものがあると、山口さんや橋本(大輔)社長と真剣に話をするなかで感じられて、その魅力的な栃木SCに行きたいと強く思いました」

――栃木はいい補強をしたな、と思いましたよ。
「ハハハ。ありがとうございます」

――集客面では、ちょっとセルのプレーを観に行きたいなと思い、浦和から足を運びやすい立地にもあります。
「関東に戻ってきたことで、『レッズの試合がない時には栃木の試合を見に行くよ』と声を掛けてくれた浦和のファンの方もいました。だから栃木に来て、『地元』に戻ってきた感じがすごくあります(笑)」

――田坂監督の印象は?
「僕が中学生(浦和ジュニアユース)の頃から知っていて、自分のいい部分を理解してくれていて、とてもやりやすいです。プラスアルファで直さないといけない部分も指摘してくれます。選手と監督として、そして人と人として、それぞれの関係性が上手くできている。もちろんサッカーの話になれば、田坂さんが求めていること、監督が望んでいることをやりながら、自分の良さを出そうと考えます。ピッチから離れれば、いろんな話もしています。コミュニケーションの部分で、すごくいい関係性を築けています。この年齢で田坂さんが監督になってくれて良かったなと思っています」

――絶対にここから這い上がってみせる。その意識が、田坂和昭監督とセルをはじめ、チームから強く感じられます。
「それしかないです。気持ちは、まったく切れていません。あらゆる人に『セルはすごいな』と思わせるぐらいのプレーを見せる。それぐらいの覚悟を持っています。そのためにトレーニングをして、食事にも気を付けていますが、すべてがいい方向へと向かっています。Jリーグでは3年間ノーゴールでした。ただキャンプから高い意識で臨めて、この中断期間に入っても、(3月28日の)鹿島アントラーズとの練習試合ではゴールを決め(スコアは1-1)、チームのためになるプレーでも貢献できました。早くそういった姿をリーグ戦で見せたい。昨シーズンまでの3年間は、むしろ、こうした気持ちになれているからこそ、意味あるものだったと思えています」
 
――背番号は「9」を選んだ。
「自分が輝いた時、調子が良かった時は、これまで必ず『9』番をつけていました。9番を背負うと必ず何かが起きてきた。栃木でもその“何か”が待っているはずです」

――9番をつけることで、ストライカーのプライドも取り戻したと?
「昨年の京都では9番が空いていたけれど、他の選手が付けるかもしれないからダメだと言われ、それ以上、要求しなかった自分がいました。(2年前までつけていた)10番は庄司(悦大)の番号になっています。でも、そこで絶対に9番をつけさせてほしい、という自分がいなかった。もちろん京都で実績をほとんど残せていなかったという引け目もどこかにあり、『分かりました』と応じて、そこで何も感じなかった。自分に何かが足りていない、と思ったのでしょう。

 今年は(強化部長の)山口さんと話すなかで、『9番をつけたいです』と伝えました。9番を背負うことで、必ずいいパフォーマンスを見せられるし、チームにも効果をもたらせる自信がありました」

――覚悟が伝わってくるね。
「蔚山で2018年に半年間移籍した時、背番号9をつけて、ボランチからトップ下にポジションを移して、すぐに点を取れました。半年間で14試合に出て3ゴール・7アシストを記録できました。今季はそのポジションでできているので、点を取れる自信もあります。何よりもチームの目標を叶えることに貢献したい。『今年はちょっとスタジアムに行くのどうしようかな?』とためらっている栃木のファンが、週末に試合に行きたくてワクワクしてもらえる。そんなチームになっていけます、このメンバーでしたら」

――昨季は苦しんだ?
「FCソウルでチームメイトだったデヤン(ダミヤノビッチ/モンテネグロ代表)は、『毎日喜んでプレーできる環境があれば、それでいい。それが一番だ』とよく言っていました。僕もそう思いたかったけれど、心身のバランスを取れず太ってしまうなどコンディションを整えられなくなりました。ただ、そうした経験をしたからこそ、今の自分もいて、まだまだサッカーのために人生を懸けたいと思えている。16歳でナビスコカップに初めて出場した時のような、あのキラキラした目を取り戻しましたね(笑)」

――いい目だね!
「サッカーができて、試合に出られて、5分でも、45分でも、90分でも、その時間に死ぬ気でやるのみです。結果はどうなるかは1年通して見ればいい。それぐらいの思いでやります。そのためにも、まず1点。早くゴールを決めたいです。最近、点を取る夢も見ましたから」

――「9番」を一段と輝かせたいですね。
「浦和レッズで9番を付けていたOBである福田正博さんは、僕にとって永遠のアイドルです。3歳からサッカーボールを蹴るようになり、初めて駒場に行った時、興奮して痺れました。今でも福田さんと話す時、緊張して震えますから。岡野(雅行)さん、土田尚史さんも憧れの的です。だから、ずっとアイドルでもある福田さんの『9番』を栃木でつけられて嬉しい限りです。この背番号とともに、J1昇格を成し遂げてみせます」
 
――セルは、母国語のスペイン語のほか、日本語、英語、韓国語、ポルトガル語を操る。その「語学力」の高さには驚かされる。
「勉強はしました。サッカーで必要だとも思いましたが、一番は、どこに行っても、誰とでも話せるようになりたいと純粋に思ったから。徹底的に勉強しました。まず18歳の時、本当かどうか結局分からなかったのですが、浦和レッズの広報の方からトゥーさん(闘莉王)は英語を話せるんだと聞いて、『俺も負けていられない』と思ったのがひょんなキッカケで、英語を習得しようと真剣に取り組みました」

――キッカケは好奇心?
「浦和にマルシオ・リシャルデスやエジミウソンが来た時、仲良くなりたいと思い、ポルトガル語を学びました。あとポンテは(エスクデロの母国語である)スペイン語で会話ができましたが、彼もポルトガル語、ドイツ語、英語ができました。彼から受けた影響も大きかったです」

――どのように勉強してきたの?
「日本語はとにかくたくさん書いて、単語や言葉を覚えました。覚えた単語を誰かが口にしたら、その発音やイントネーションも気にしたり、真似たりしていました。『〇〇いく?』と語尾を上げるとどういったニュアンスになるのか。みんなは自然に出る。でも僕はその細かさも真似るようにして覚えて、外国人特有のなまりをなくしていきました」

――英語は?
「英語も同じです。たくさん書いて単語を覚えていきました。あとは20歳になったあと家庭教師についてもらい、週2回、2時間会話をしてもらいました。僕がいろんなことを話して、最後に先生が間違いや気になった表現をまとめてくれるんです。その言い回しはこうなるよと教えてくれて、それを改めて読んで覚えていく。そう繰り返すことで、上達できている実感を得られました。2、3年をかけて勉強して、韓国に移籍したあと、街中でも英語で話せるようになっていきました」

――海外に移籍したあと、言葉の壁に苦しむ日本人の選手は少なくありません。
「日本では『もしも移籍が決まったら覚えればいい』『海外に行ってから覚えればいい』という選手がほとんどのように思います。スペイン語なんて、覚えたらとても強みになります。サッカー選手になれたことで、お金も同世代の中では多くもらえて、加えて時間もできるわけです。ヨガやジムに通うことはもちろんいいことだけど、そのなかに、なぜ語学を加えないのかなと思うことはありました。そこは、もったいない気がします。むしろせっかくサッカーをしているのだから、日本人の選手はそこを意識すべきだと感じます」

――そういった経験もまた、栃木に還元していくと。
「(ハン)ヨンテ、タカ(明本考浩)、(有馬)幸太郎……僕は32歳で彼らからすると絡みづらいかもしれないけど、いろんなことを話せる関係になっています。(平岡)翼、榊(翔太)……サッカーの話もいろいろしますし、意欲を感じます。何より田坂さんは横一線からの競争環境を作ってくれています。ピッチではそれぞれが声を出して、グループのようなものは作らない。全員で言い合い考える。それができています。一緒に取り組みながら、成長していきたい。京都でよく一緒にいた小屋松(知哉)、仙頭(啓矢)、岩崎(悠人)はより高いレベルに移っていきました。32歳の立場から、楽しみにしています」
 
――J1昇格プレーオフがなくなってしまった影響は?
「目標は昇格。規定は変わっても、昇格圏に入ることしか考えていません。そこをクラブの全員で意識しないといけない。降格がなくなって良かった、ではなくて、絶対に昇格するんだという気持ちで、求め合い、僕は応えていきたい。選手のみならず、スタッフもそういう思いにならないと達成できません。そのために、みんながみんなを思いやらないといけない。それが栃木の中で、社長から強化部、広報、あらゆる職務についているスタッフのみんながチームのことを考えてくれているので、僕ら選手はサッカーに集中できています。今年、栃木がやっていることが正解だと認めてもらうために、僕たち選手が努力しないといけませんね」

エスクデロ競飛王(エスクデロ・セルヒオ)
1988年9月1日生まれ、31歳 日本国籍。アルゼンチンの出身で同国とスペインのプロリーグで活躍し、浦和レッズにも在籍したセルヒオ・エスクデロが父親。171センチ・75キロ。これまでのキャリアは、ベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)― 柏レイソル青梅ジュニアユース ―  浦和レッズジュニアユース ― 浦和ユース ― 浦和 ― FCソウル(韓国) ― 江蘇蘇寧(中国) ― 京都サンガF.C. ― 蔚山現代FC  ― 京都 ― 栃木SC。昨季J2リーグ12試合・0得点。J1リーグ通算81試合・7得点、J2リーグ86試合・5得点。

取材・文●塚越 始