去る6月24日に42回目の誕生日を迎えたのが、元アルゼンチン代表MFのファン・ロマン・リケルメだ。

 1996年にボカ・ジュニオルスでキャリアをスタートさせたリケルメは、バルセロナ、ビジャレアルとヨーロッパでもプレー。類まれな足下のテクニックと非凡なパスセンスで魅了した稀代の天才だ。

 あのリオネル・メッシが兄貴分として慕い、引退した今もなおファンからの絶大な人気を誇る男が、不遇をかこった時代があった。それは2002年の夏に加入したバルセロナでのことだ。

 背番号10を用意され、移籍金1100万ユーロと小さくない期待を背負ってスペインの超名門の扉を叩いたリケルメだったが、当時の指揮官だったルイス・ファン・ハールと馬が合わずに対立。「彼との契約は政治的なものだ」と公言したオランダの智将から冷遇を受け続けた。

 2003年の夏にロナウジーニョがバルサに入団したことからEU圏外選手枠が埋まったため、リケルメはトップチームの練習からも追放。あっけなくビジャレアルへと放出された。

 ビジャレアル移籍後は絶対的な司令塔としての地位を確立して、水を得た魚のような活躍したリケルメ。それだけにバルサの早期退団を惜しむ声は少なくない。元ブルガリア代表FWのフリスト・ストイチコフもその一人だ。
 
 1990年代前半に、名将ヨハン・クライフが率いたバルサのエースとして君臨し、Jリーグの柏レイソルでもプレーしたレジェンドは、スペインのラジオ局『Radio Impacto de Cordoba』で、「リケルメがバルサで活躍できなかった理由は?」と問われ、持論を展開した。

「リケルメがバルセロナに合わなかった理由? そんなのは簡単だろう。監督がファン・ハールのような愚か者だったからだ。じゃなきゃもっとうまくやれていたさ。ファン・ハールは確かに称えられるべき結果を残しているが、その一方で彼のナンセンスな振る舞いに苦しんでいる人間は多い」

 自身もファン・ハールとそりが合わずにバルサを退団した経験を持つストイチコフは、こう続けている。

「私もファン・ハールの独善的な振る舞いには苦しまされたんだ。同じオランダ人でもヨハン・クライフとは大きな違いがある。リケルメもきっとそうだ。彼はビジャレアルでは最高のプレーをしていたが、バルサに来た当初も良いプレーはしていたんだ」

 もし、当時の指揮官がファン・ハールでなかったら、リケルメはバルサで一時代を築けただろうか――。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部