「TERRIBLE」(英語で恐ろしいという意味)

 2015年10月、リバプールの監督に就任し、初めて選手たちと対面を果たしたユルゲン・クロップは、ホワイトボードに大きな文字でこう記したという。周囲から驚きの眼差しが注がれるなか、新指揮官は「これが今日からリバプールと対峙する相手チームが抱く感情だ」とその意図を語った。

 それから5年近くの歳月が経過した。クロップの公約通り、相手から恐れられるチームへと変貌を遂げたリバプールは、昨シーズンのチャンピオンズ・リーグ制覇に続いて、30年ぶりのリーグ優勝、1992年に創設されてから初めてとなるプレミアリーグのタイトルを手にした。

 クロップはあらゆる意味で異色の監督だ。自らの考えをあけっぴろげに言葉にする監督でさえも珍しい昨今、政治的な発言をすることも躊躇しない。ブレグジット(英国の欧州連合からの離脱)に対して反対の意思を示し、今回のコロナ禍においてもボリス・ジョンソン首相の対策を批判し続けた。


 クロップにとって好都合だったのは、リバプールという土地柄だろう。リバプールは労働者階級の街だ。アイルランドからの移民を多く受け入れ、かつては国内有数の港町として栄えた。人々の間にはその時の記憶が強く息づいており、だからこそ反権力意識が強く、とりわけ対象が首都ロンドンから発されたメッセージとなると反発の度合いが一段と高くなる。
 
 リバプールのクロップの招聘において主導的な役割を果たしたのが、オーナー企業「フェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)のディレクターであるマイク・ゴードンだ。2015年夏、ゴードンはニューヨークでクロップと面談の機会を持った。当時ブレンダン・ロジャースがリバプールを指揮していたが、クラブは水面下で後任探しを進めており、同じくフリーだったカルロ・アンチェロッティにもアプローチをかけていた。

 事前に作成されたレポートには、クロップはコンバースのスニーカーを好んで履き、上層部の現場介入をものともしない人物とある。かつての上司だったボルシア・ドルトムントのCEO、ハンス・ヨアヒム・ヴァツケもクロップの媚びない性格について喧伝していた。ゴードンはクロップが果たしてどんな人物なのか自分の目で確かめたかった。

 そして目の前に現れたクロップはカリスマ性に満ち溢れていた。ゴードンが「あなたの考えを述べなさい」と促すと、驚いた表情を見せながらも自らの意見をよどみなく口にし始めた。巷で言われているような一つの意見に凝り固まるのではなく、建設的な議論ができる人物だった。まさしく忌憚なく意見を言えることが次期監督の条件だと考えていたゴードンはクロップに一流のエグゼクティブの資質を見抜き、FSGのオーナーのジョン・ヘンリーに招聘に動くよう進言した。
 
 2010年10月にリバプールを買収して以来、名門再建を推し進めていたヘンリーも、新生リバプールのスピリット、リバプールという土地柄に適した監督を探し求めていた。クロップは感情豊かな人物だが、ヘンリーもゴードンもその点に着目したわけではない。自分たちが求める人物像を明確に定義したうえで、それに合致していると判断して招聘に踏み切ったのだ。

 実際、就任後、クロップは独りよがりになるようなことは決してなく、卓越した調整能力を発揮しながら、任せられる仕事はスタッフに任せて直面する問題を次から次へと解決していった。

 しかし同時にクロップは人一倍の野心家でもある。プレミア初制覇に甘んじるつもりはもちろんなく、「リバプールは若いチームだ。これが終着点ではない。われわれの目標はもっと高いところにある」と決意を新たにする。

 ともあれ、クロップはビートルズ誕生の地としても名高いリバプールで確かな足跡を残していることは間違いない。代理人のマルク・コジッケによると、クロップはゴードンと初めて面談した後、セントラルパークを横切りダコタ・ハウスの入り口の前にある歩道に立ち寄ったという。そう、そこはマージ―サイドが生んだ偉人の中でも傑出した反骨精神の持ち主だった、ジョン・レノンが暗殺された場所である。

文●ディエゴ・トーレス(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸

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