サッカーダイジェスト本誌で好評を博した特集、『真のジーニアスは誰だ? 2020年度版 天才番付』。そのなかの関連企画として、かつて天才と呼ばれた男たちにスポットを当て、キャリアを振り返ってもらった。

 今回紹介するのは、10代からその才能を高く評価された財前宣之の"蹴球ストーリー”だ。

 1993年に開催されたU−17世界選手権(現U−17ワールドカップ)で日本はベスト8に進出。当時のメンバーにはのちにA代表で活躍する松田直樹、宮本恒靖、中田英寿、戸田和幸らがいた。なかでも特段の輝きを放ったのが財前氏だ。背番号10を背負ったMFはチームの中心としてプレー、大会ベストイレブンに選ばれる堂々の活躍を披露した。

 現在、仙台でフットボールスクールを主宰している氏に話をうかがった。いかにしてその才能を開花させ、天才と謳われた日々になにを感じていたのか──。

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 周りからは天才だと言われていましたけど、自分ではそう思いません。中学1年で読売クラブの育成組織に入団して、僕は当初、20人いたら20番目くらいの存在でした。鳥かごではパスが来ないし、ボールも取れなかったですから。

 ただ、そういう状態からのスタートなので、逞しくはなりました。なおかつ、家から練習場まで往復約6時間で、それを6年間続けました。他の人に比べてサッカーに対する情熱やプロになりたいという想いは強かったのかなと思います。

 とはいえ、ボールタッチ、キックなど技術的な部分は多少、素質があったと思います。ボールの回転、強弱、逆回転で弾道を抑えるとか、そこまで考えていましたし、状況によって使い分けていました。誰からか教えられることなく感覚でプレーしていましたね。

 父親は野球をやっていたので“サッカー遺伝”だけで限定すると恵まれていなかったかもしれません。野球はかなり上手かったらしいですけどね。
 
 話を戻します。素質は少しあったかなと先ほど言いましたが、練習はかなりしました。サッカー小僧でしたからね。

 キックに関しては蹴れば蹴るだけ上達すると思うので、公園とかで9歳と7歳上の兄に教わっていました。自主練習とチームの練習を合わせると、トレーニングは1日あたり4時間程度。サッカーのことしか考えられない環境と、日々の努力で成長しました。

 その積み重ねが僕を形成し、18歳でラツィオに短期留学した時、チームメイトでのちにイタリア代表に選ばれる(アレッサンドロ・)ネスタや(マルコ・)ディ・ヴァイオに対しても技術的な部分で劣っていなかったです。スピードとパワーは全然違いましたけど(笑)。
 
 その後、スペインでプレーした時も同じ感覚です。外国人相手にビビることなく、淡々と戦っていた覚えがありますね。ちなみにログロニェスというチームだったのですが、当時の監督がいまセレッソを率いている(ミゲル・アンヘル・)ロティーナ監督。大きな怪我の影響によって、2か月くらいで退団したので監督が凄かったかは分かりませんが(笑)。

 プレースタイルでお手本にした選手はいないですが、衝撃を受けたのはアルゼンチンの(パブロ・)アイマール。トップ下の小柄な選手で、めちゃくちゃ上手かったですね。僕も身長は高くないので、なるべくコンタクトを受けないでプレーできるかとか、受け方やマークを外す動きを意識していました。

 たくさん話しましたけど、僕が考える天才は『教えられてないことをやれる人』とうイメージです。キックの感覚とか、リズム感とか、教えられてないのに試合の流れを読めるとか。あとは良い選手を見た時にすぐ真似できちゃうとか。
 
 最後に今は仙台でサッカースクールを開設しています。故郷ではない東北で働いているのは恩返しの意味を込めて。現役時代、怪我が多かったんですけど、そんな状況で拾ってくれたのが仙台で、7シーズンもプレーさせてもらいました。その後も山形で4シーズン過ごしていて、東北は僕にとって大切な場所です。

 スクールとジュニアユースにはたくさんの方に集まっていただいて、『財前さんに教わりたい』と言ってくれる親御さんが多くて、嬉しいです。選手時代に応援していただいた方たちの子どもを預かっているので、微力ながらそこで恩返しはできているかなと思います。

■PROFILE■
ざいぜん・のぶゆき/1976年10月19日生まれ、北海道出身。93年のU−17ワールドカップで日本のベスト8進出に大きく貢献し、大会ベストイレブンに輝く。プロでは仙台や山形でプレーし、今は仙台でフットボールスクールを開設している。

※『サッカーダイジェスト』2020年7月9日号より一部修正・加筆して転載。

取材・構成●古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)