1965年僕はこの世に産まれた。

 日本のサッカーの歴史は、「前にボールを蹴れ」「コーナーフラッグに向かって攻めろ(蹴ってくれ)」であったのは、僕の少年時代はもとより、読売クラブへ入団する前、そして今日まで続いているのかもしれない……。

 少年の頃、静岡の選抜に選ばれてプレーをすると「ヤス、持つなー」と監督から指示が出た。

 僕の所属する城内FCはそんな時代の中で個人技、ひとりでボールを扱う技術を大事にするクラブであり、当時では珍しいスタイルのチームであった。

 特に個人の技術、リフティング、ドリブル、トラップ、「止めて蹴る」のトレーニングが中心で、パワーを使うトレーニング、強く蹴る、速く走るといった所には余りアプローチを掛けられなかった……。

 シュート、ロングキックで用いるインステップを使うキックよりも、インサイドキックを多用し、ノールックパスや微妙に浮かすパス、ドリブル、フェイント、浮かして抜くといった、どちらかと言うと南米スタイルの異色なサッカーを叔父さんである監督が志向していた。

 僕らはトラップを1cm狂ってもトラップミスだと言われ、リフティングは1000回は当たり前で、何万回とつけないと怒られた。

 リフティングは試合中での浮いたボールのトラップのためにやっているんだと言われ、サーカス団に入れるためにやっているわけではないと、上手くできるようになってからも言われた(笑)。ここはメンタルが鍛えられたかもしれない。

 年末に少年少女サッカースクールの講師で呼ばれて愛知県岡崎市へ行った時、スクール生のひとりが良い質問をした。
「プロになるために一番やっていて良かったトレーニングは何ですか?」

 他クラブからも各ポジションの元選手、現選手がユニークな答えも入れながら、僕はリフティングと回答。そして偶然にも、(小野)伸二もリフティングと答えた。

 リフティングを1ミリも狂わずつけることにより自信が付き、体力がつき、精神力と集中力が宿り、技術が高くなる。メンタルとフィジカルとテクニックが同時に鍛えられるトレーニングがリフティングだったのである。

 ただ今のサッカーはそれが足先だけの技術になったり、ただ前に蹴ってセカンドボールを狙うリスクを冒さない“トライしない”戦い方だったり、言い方はズルいが中途半端な見せかけのプレーが多いような気がする。

 プロ選手にもそのような選手はいるが、育成年代でどんな選手を育てていくかというなかで、勝利と個人、チームと選手個人のどちらかに偏ることで、中途半端な選手に育っているのではないだろうか?

 特徴を活かす、長所を伸ばすという聞こえの良い考え方に惑わされ、「サッカーを知る、サッカーの本質を知る」という選手の足りない部分にアプローチをかける厳しい要求が減ってはいないか。育成年代の段階で必要なプロになるための基本的な考え方が伝わっているだろうか?
 
「前へ、コーナーフラックに蹴ってくれ」
 これは少年少女に対するサッカーの躾の言葉として適切なのか?

 それは「君は技術が低いからそんなプレーはいらない」、だから「前へ…」と、子どもの可能性を省いてしまうサッカーの躾がまだ多いのではないか?

 レストランに行くと、大きな声で叫び出したり、泣き出したりする子どもと、静かに座って食べる子どもがいるように、大人の躾で子どもは変わる。同じことが選手にも言える。ただ、それでも大人になってどんな人間になるのかは分からない。これもまた選手も同じだ。

 躾だけが出来ても、言われたことだけ守れてもダメなのであり、自分で社会を知る、サッカーを知ることが大事になってくるのである。

 ウチは個人を教えるので負けても良い――。
 ウチは何をしても何を使っても勝てば良い――。

 二つの言い分は正反対に思うが、実は同じことを教えているのであろう。技術を教えること、勝ち方をそれぞれ押し付けていて、サッカーを教えていない。

 僕は子どもの頃、この両面にアプローチした指導を受けて育ったサッカー少年である。

 だから子どもの頃、カズより技術の高い、巧い、カズより速い、カズより身体の強い選手は当時、何人もいた。

 ただ54歳で現役を続けられる選手は彼しかいない。

 それは子どもの頃からのサッカーでの躾から始まり、彼がいろんな人から学び、吸収し、今でも全てを総合してプロのサッカー選手であることを知っているから続けられるのであろう。

 世界で通用する選手を育てるには、ひとつの要素を強くアプローチするだけでは限界がある。生まれ持った能力、才能も必要だ。そんな中で「気持ち」があれば可能性は生まれる。やる気がなければ話にならない。

 だからまずは、気持ちの強い、やる気のある選手であることが大前提になる。その気持ち、胸を指して心の部分はサッカーにおける脳であり、認知能力というインテリジェンスの根源になる。

 そしてその「サッカー」に、なんらかの問題があるとすれば、指導者の関わり方がより大事になるのである。

 今の時代、あのブラジルでさえ、僕が理想としていたブラジルではない……。世界一のサッカー王国のサッカーではない。

 日本は育成の話になると、他所の真似をしたがる傾向にある。スペインになったり、ドイツになったり、フランスになったり、南米、東欧……。いろんな国から学ぶのは良いことだが、日本人の持つストロングを生かしたサッカー育成論が必要だ。

 もうブラジルでさえ、鵜呑みに信じてはいけない時代になっているのだから……。

 このコラムを書きながら、果たして自分の書いたことさえが正しいのか怖くなる。
それがサッカー。

 さあ、今日もサッカーとしっかり向き合って生きなければいけない。

2021年1月28日
三浦泰年