1980年代前半を引っ張った佐々木七恵と増田明美

マラソンは男女問わず人気種目だが、かつては女子選手のマラソン出場が認められておらず、女子マラソンの歴史は意外に浅い。1979年に創設された東京国際女子マラソンが日本で行われた初めての本格的な女子マラソン大会で、その後、大阪国際女子マラソンや名古屋国際女子マラソン(現名古屋ウィメンズマラソン)などが相次いで創設された。

オリンピックで初めて女子マラソンが実施されたのは1984年のロサンゼルス大会。ジョーン・ベノイト(アメリカ)が2時間24分52秒でロサ・モタ(ポルトガル)らを抑えて金メダルを獲得した。

では、日本記録はどのように変遷してきたのだろうか。振り返ってみたい。

女子マラソンの日本記録変遷

1980年代前半は佐々木七恵と増田明美が女子マラソン界を引っ張った。1981年に佐々木がボストンで2時間40分56秒をマークすると、翌1982年2月には増田明美が2時間36分34秒で記録更新。同年6月に佐々木がニュージーランドで2時間35分00秒を出すと、1983年にはアメリカ・オレゴン州で行われたナイキOTCマラソンで増田が2時間30分30秒の日本最高記録をマークした。

しかし、期待された翌1984年のロサンゼルス五輪では増田は途中棄権、佐々木は19位に終わり、世界の壁は厚いことを思い知らされる結果となった。

有森裕子、小鴨由水、安部友恵らニューヒロイン続々

初めて2時間30分の壁を破ったのが宮原美佐子。1988年の大阪国際女子で2時間29分37秒をマークした。翌1989年のパリマラソンでは小島和恵が2時間29分23秒で優勝。ソウル五輪に出場できなかった無念を晴らして号泣した。

1990年代に入ると新たなヒロインが次々に出現する。1991年の大阪国際で有森裕子が2時間28分01秒で2位に入り、日本最高を更新。さらに翌1992年の大阪国際では、初マラソンの小鴨由水が2時間26分26秒の日本新記録で優勝という離れ業を演じた。同年に行われたバルセロナ五輪では有森が銀メダルに輝き、山下佐知子が4位、小鴨は29位だった。

次に記録を更新したのが安部友恵。1994年の大阪国際で藤村信子、浅利純子とのデッドヒートを制し、2時間26分09秒で優勝した。

安部の新記録からわずか2カ月半後、ロッテルダムマラソンで朝比奈三代子が2時間25分52秒で優勝。宮原が日本最高をマークして以来、毎年のように記録が塗り替えられており、2時間25分を切るのは時間の問題かと思われたが、意外な停滞期が待っていた。

世界最高の高橋尚子、アテネ金の野口みずき

1990年代後半に突如出現したニューヒロインが高橋尚子だ。1998年の名古屋国際女子で2時間25分48秒の日本新で初優勝。ビクトリーロードの始まりだった。

同年12月のバンコクアジア大会では、前半からハイペースで独走。2時間21分47秒のアジア最高記録で優勝した。それまでは世界との差が大きかったが、テグラ・ロルーペ(ケニア)が持っていた当時の世界最高記録に1分差まで迫った。

2000年のシドニー五輪で2時間23分14秒の五輪最高記録で金メダルを獲得した高橋は、翌2001年、記録でも世界の頂点に立つ。9月30日のベルリンマラソン、女子で初めて2時間20分を切る2時間19分46秒の世界最高記録で優勝。日本の女子マラソン界にとっても新たな歴史を刻んだ。

当面は破られないと思われた高橋の記録を更新したのが渋井陽子。目標だったアテネ五輪出場を逃した2004年9月のベルリンマラソンで、当時世界歴代4位の2時間19分41秒で優勝し、無念を晴らした。

さらに翌2005年のベルリンでは、アテネ五輪金メダリストの野口みずきが、当時世界歴代3位の2時間19分12秒で優勝。現在も野口のタイムが日本最高記録となっている。

現在の世界最高記録はブリジッド・コスゲイ(ケニア)の2時間14分4秒。15年間で日本選手との差は再び開いてしまった。2021年の東京五輪に出場予定の前田穂南、鈴木亜由子、一山麻緒の3人には、世界を驚かせるような走りを期待したい。

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