国内移籍は松永浩美、仲田幸司、野口寿浩、藤本敦士、平野恵一、久保康友、大和の7人

プロ野球のFA権取得は選手にとって大きな勲章だ。権利を行使して移籍することは野球人生においてターニングポイントになり得る重大な決断である一方、出ていかれる球団にとっては戦力ダウンとなり痛手であることも確かだ。

これまでFAで最も多く流出した球団は19人の西武。FA選手を12人獲得した阪神から流出したのは10人となっている。今回は阪神からFA移籍した選手を振り返ってみたい。

球団別FA流出選手数


移籍した内訳は国内が7人、海外が3人。国内他球団に移籍したのは下記の通りだ。

1993年オフ 松永浩美 →ダイエー
1995年オフ 仲田幸司 →ロッテ
2008年オフ 野口寿浩 →横浜
2009年オフ 藤本敦士 →ヤクルト
2012年オフ 平野恵一 →オリックス
2013年オフ 久保康友 →DeNA
2017年オフ 大和 →DeNA

初めてのメジャー移籍は新庄剛志

阪神から初めてメジャー挑戦したのは2000年オフの新庄剛志だった。

阪神からFAでメジャー移籍した選手


シーズン最後まで優勝を争った1992年に亀山努とともに大ブレークし、阪神の若きスターとして活躍した新庄は、2000年オフにFA宣言。慰留する阪神が提示した破格の複数年契約を蹴って、推定年俸20万ドルのメッツと契約し、世間を驚かせた。

1年目は10本塁打、56打点をマークし、ジャイアンツに移籍した2002年は日本人選手として初めてワールドシリーズに出場。メッツに復帰した2003年までメジャー計3年で打率.245、20本塁打、100打点の成績を残した。2004年から日本ハムに移籍し、2006年に引退。48歳の現在はNPB復帰を目指してトレーニングを続けている。

藪恵壹はアメリカで浪人も経験、藤川球児は故障に泣く

1994年に9勝を挙げて新人王に輝くなど阪神のエースとして活躍した藪恵壹は、2004年オフにFA宣言。アスレチックス入りし、40試合の登板で4勝1セーブ1ホールドを挙げた。2005年オフに自由契約となるとメキシカンリーグでプレーしたり、無所属で孤独なトレーニングを続けたりと苦難の時を過ごし、2008年にジャイアンツ入りを果たす。

同年は60試合に登板したが、翌2009年に解雇。2010年シーズン中に楽天にテスト入団し、同年限りで引退した。MLB通算7勝6敗1セーブ10ホールドの成績を残している。

藤川球児は「JFK」と呼ばれたリリーフ陣の一角を形成し、最多セーブに2度輝くなど阪神のセットアッパーやクローザーとして活躍。2012年オフにFA宣言し、カブス入りした。しかし、2013年6月にトミー・ジョン手術を受けるなど故障に苦しみ、レンジャーズ時代の2015年までMLB通算1勝1敗2セーブ1ホールドに終わった。

2015年シーズン中に帰国し、四国アイランドリーグの高知入り。翌年から阪神に復帰し、2019年に4勝16セーブ23ホールドをマークするなど復活の兆しを見せたが、2020年8月31日に今季限りでの引退を表明した。名球会入りとなる日米通算250セーブまで、あと5に迫っており、達成なるか注目されている。

なお、2003年に20勝を挙げるなど左腕エースとして活躍し、2007年にヤンキースに移籍した井川慶はポスティングシステムだった。

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