38年の間にチーム構成が大きく変化

2019年のFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)決勝は、1981年のトヨタカップと同じ対戦カードになった。

この2回の対戦を戦った選手たちの面々を詳しく見ていくと、その間に世界のサッカーが大きく移り変わってきたことを実感する。

両チームが地元選手を中心に戦った1981年

1981年は、リヴァプールFC(リヴァプール)とCRフラメンゴ(フラメンゴ)共にインターコンチネンタルカップは初出場だった。スポンサー名を冠してトヨタカップと呼ばれ始めたのはこの頃だ。

1981年12月13日、試合会場になったのは東京の国立競技場。62000人の大観衆が見つめる中、試合がキックオフ。リヴァプールは、欧州チャンピオンズカップでレアル・マドリーを倒しての出場。フラメンゴは、コパ・リベルタドーレスも初出場で優勝をさらっていた。

リヴァプールのメンバーは16人中9名がイングランド人、3名がスコットランド人。そして3名のアイルランド人のうち2名は英国生まれ。外国人といえそうなのは、アイルランド代表MFロニー・フェランとジンバブエ代表GKブルース・グロベラーくらいのものだった。

対するフラメンゴのメンバーは全員ブラジル人で、後にJリーグ発足に向けて再来日を果たすことになるジーコはキャプテンマークをつけていた。同じく、後に鹿島アントラーズに入団するDFカルロス・モーゼル。そして、ブラジル代表の常連で後にフラメンゴの監督や日本代表のジーコ監督側近も務めることになるジュニオールと、後年、浦和レッズの監督に就任したチッタもいた。

ブラジルは今も昔もタレントの宝庫だが、この時来日したフラメンゴのメンバーは長期間海外でプレーした選手のほうが少数派で、多くはブラジル国内でキャリアを送った。

現在だったら、全盛期のジーコがブラジル国内でプレーしていることは、まず考えられないだろう。ブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオールは、18歳でフラメンゴからレアル・マドリーに移籍している。

1981年の両チームの陣容は世界のサッカー市場で、まだ国際的な選手の獲得競争が本格化する前だったことを如実に物語っている。

2019年クラブW杯は、多国籍軍化

38年の歳月を経て、2019年クラブW杯決勝戦で再戦を果たした両チーム。2019年12月21日、カタール・ドーハのカリファ・インターナショナル・スタジアムで45,416人の観衆が目にしたのは、次のような陣容だ。

リヴァプールのメンバー23人。英国人はイングランド人が9名、スコットランド人が1名、ウェールズ人が1名で少数派。外国籍選手は欧州からオランダ人が4名、スペイン人が1名、スイス人が1名、ベルギー人が1名、南米ブラジルからは2名、アフリカからはギニア人1名、セネガル人1名、エジプト人1名と実に多様。そして、フラメンゴにもウルグアイやパラグアイ、コロンビアにスペインと4人の外国籍選手がいる。

2019年の両軍の監督は、共に外国籍指揮官だ。

南米が勝ち越したインターコンチネンタルカップ、欧州が圧倒するクラブW杯

1960年から2004年までのインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ含む)の記録は、南米が22勝で欧州が21勝と拮抗しながらも南米が勝ち越している。

一方、その後継大会となったクラブW杯は、欧州12勝・南米4勝と大きく差がついている。他の大陸王者も参戦しているのだが、依然としてタイトルを獲っているのはこの2大陸だけだ。そして数字を見ると、欧州が圧倒していることがよく分かる。

一時期、経済が停滞したブラジルでは有望な選手は海外に出ていくばかりだった。だが近年、経済が成長し有力クラブには資金力がつき、真っ当な強化ができるようになってきた。フラメンゴも育成するばかりではなく、高額の移籍金を支払い、選手を獲得している。しかし、欧州サッカーの成長はブラジルのそれを上回っている。

現在、リヴァプールが世界中から多数の有力選手を獲得している事実は、インターコンチネンタルカップとクラブW杯で変化する欧州と南米の力関係を裏付けるものだと言えるのではないだろうか。

(次回へ続く)