ダンス史に残る公演になる予感がする。2020年3月26日(木)〜29日(日)にKAAT神奈川芸術劇場大スタジオで行われる笠井叡『DUOの會』は要注目だ。1960年代からダンスシーンの先端を歩んできた舞踏家、振付家である笠井叡が、ダムタイプ出身のパフォーマー川口隆夫、子息で多岐にわたり活躍中のダンサー、振付家の笠井瑞丈にデュエットを振付する(笠井叡も特別出演)。上演作品は笠井叡が世界的舞踏家の大野一雄(1906年−2010年)と共に踊った伝説的な舞台のリ・クリエイションと新作『笠井叡の大野一雄』だ。笠井叡から川口、笠井瑞丈に受け継がれるもの、新たに注入されるものとはいったい何なのか? 笠井叡に公演のコンセプトや大野一雄らとのエピソード、現在のダンスに対して感じることを話してもらった。

■飽くなき挑戦を続ける巨匠の現在

――昨年(2019年)1月に主宰する天使館で澁澤龍彦原作『高丘親王航海記』、5月に国立劇場+アーツカウンシル東京主催「神々の残照−伝統と創造のあわいに舞う−」で『いのちの海の音が聴こえる』という大作を発表されました。また東京・国分寺の天使館で行う「ダンス現在」ではソロを踊っています。これらを振り返っての印象はいかがですか?

ダンスには自分でもわからないくらい広い領域があって追求しきれない世界です。『高丘親王航海記』ではドラマティックな構成と物語性のあるものに取り組み、私自身のナレーションを入れました。語りを入れると純粋身体が見えなくなりますが、日本舞踊にしても歌舞伎にしても能にしても語りと一緒ですし、言葉とダンスの結び付きはあっていい。

『いのちの海の音が聴こえる』では「古事記」を全面的に使いました。音楽はマーラーでしたが(「交響曲第五番」の第一楽章、第二楽章、第四楽章)、自分でも「古事記」とマーラーが一緒になるとは思っていませんでした。「古事記」には物語がありますが、響きと動きを純粋に感じる一つの新しい試みだったと思います。

「ダンス現在」では自分のやりたい動きをやっています。モーツァルトの「レイクエム」を全曲使って初めて踊ったんです。それからシューベルトの「未完成」と「死と乙女」を数十年ぶりに踊りました。一個のカラダが持つ可能性は無限にあるので、一作やるごとにカラダを変えていきたい。今の自分の領域の一つとして続けていきたいし挑戦ですね。

『高丘親王航海記』2019年(C)bozzo

『高丘親王航海記』2019年(C)bozzo

■川口隆夫×笠井瑞丈に振付したい

――大野一雄さんと踊られたデュオ3作品と新作を川口隆夫さん、ご子息の笠井瑞丈さんが踊る『DUOの會』をやろうと思われた動機は何ですか?

私が踊った『花粉革命』(2001年)を瑞丈に改めて振付している時、なぜか瑞丈と川口隆夫さんが重なって見えたんです。カラダの持つ気分というのか圧力が重なった。二人のデュエットをやったら面白いと直感したんですね。二人は自分の中から出てくるものよりも外側から自分を作っていくような創り方が得意。体の使い方において資質が似ています。

でもクリエイションに入ってからの印象は全然違いました。正反対で似ていなかった(笑)。川口さんは『大野一雄について』(大野の舞台映像を完全コピーして踊る作品で国内外で公演している)をやられていますが、実際に大野さんに似ているところがある。大野さんは「自分は畳の縁の部分だけで踊りたい」みたいなことを言う人でしたが、そういう感じが川口さんにもある。世界に対して自分がどこにいたらいいのか居場所を常に求めながら自分を外に出している。ネガティブな部分の強さがあるんですね。瑞丈は違う。空間をいっぱいに使って踊りたい。死ぬところまでエネルギーを出し切って踊りたいというのがあるのね。

――大野さんと踊ったデュオをリメイクするという企画先行かと思ったのですが。

それは後なんです。最初は大野さんではなくて、二人の身体性を出せればと思った。でも、どうやったらそれを出せるかなと考えた時に、川口さんは『大野一雄について』に取り組んでいるし、瑞丈は私の踊った『花粉革命』をやっているし、ひょっとしたら、これは私が大野さんとやった作品を二人に振付した方がいいなと考えたんです。

――方々で話されていますが、もう一度、大野一雄さんとの出会いについて教えてください。

1963年春、大野さんに初めてお会いしました。本当にびっくりしましたね。とんでもない人がいるんだなと。こんなに優しい人が世界にいてもいいのかと思うくらいに優しかった。夢見る悪魔というかーーそう言うとエドガー・アラン・ポーみたいですがーー底知れぬくらいの優しさが自然に流れている。虜になりましたね。(国分寺から横浜の上星川まで)3年間往復5、6時間かけて週に何回も通いました。毎回新しい体験がありました。

(左より)笠井瑞丈、笠井叡、川口隆夫 撮影:行竹亮太

(左より)笠井瑞丈、笠井叡、川口隆夫 撮影:行竹亮太

■大野一雄と踊ったデュオの軌跡

――今回リ・クリエイションされる、かつて大野さんと踊られたデュオ3作品について年代順に伺います。最初の『犠儀』(1963年、朝日講堂)はどのような作品ですか?

大野さんの稽古場に通い始めた年の10月に友達の渡辺丈、伊差川サドと会をやり、振付を大野さんに頼もうと思っていたんです。結果的に大野さんと自分のデュオになりました。二人が客席の中を花嫁と花婿の入場のように歩いていく場面から始まります。私が考えていたテーマは、生きることと死ぬことの間に接点が必ずあるということ。あの人は生きている、この人は死んだというのではない接点をどうしても踊ってみたかった。大野さんは乗り気になってくれました。大野さんは死者の体を火の中に入れる人を、私は少年をやりました。大野さんは具象でも抽象でもない中間をやりたくて、それを「新具象」と言っていました。正直何をやっているのかよく分からなかったのですが、観たことのないカラダが観たことのないような衣裳を着て、観たことのない動きをする。それで十分な気がしました。

『丘の麓』1972年 (左)大野一雄 (右)笠井叡

『丘の麓』1972年 (左)大野一雄 (右)笠井叡

――『丘の麓』(1972年、青年座)で再び大野さんと組まれました。

大野さんのところに通ううちに土方巽さんとも付き合いも始まり、土方さんの舞台に出て振付のやり方も学びました。でも自分の居場所はないと思ったんです。ダンスすることと生きていくことの接点が見えなかった。結果として、大野さんからも土方さんからも離れました。大野さんはイマジネーションを創る時に絶対客観的なものなんかないという人。要するに自分にしか通じない私的なものでしかない。その凄さはあったのですが、私は人に通じないイメージというのがどうしても駄目で、どうしたら客観的なイメージを出せるかという問題意識がありました。大野さんからも土方さんからも離れて自分でやっていくしかないと思って始めたのが天使館です。踊る方法論を伝えるのではなくて、踊りたい人間が自由に踊る空間を提供しようと考えました。

『丘の麓』に関しては、市川雅さん(舞踊評論家)が企画した「現代舞踊の異形」で発表しました。オーブリー・ビアズリーの小説「ヴィーナスとタンホイザー」を基にしています。キリスト的信仰を持っている人間が神聖娼婦と一緒に暮らし、結局罪を改めて信仰の世界に戻るというお話ですけれども、ヴィーナス役は大野さんしかできないだろうと。

――大野さんと踊られた印象はいかがでしたか?

大野さんは私の言う動きをやろうとするんだけど、結果的に自分の好きな動きしかやらない。途中から「大野さん、好きにやって!」みたいになって。そうすると逆に「笠井くん、こう動いて!」とだんだん大野さんの世界に入れ込まれてしまう。その時、大野さんは二つのことをおっしゃったんです。一つは馬とか蛙とか動物の人形を舞台の周りに並べたい。もう一つは瓶か何かにドジョウをいっぱい入れて、花咲じじいみたいに撒きながら踊りたい。多分、ドジョウのイメージは精子なんだね。

それから言っておかなければいけないのがビアズリーの文学とは別に、ワーグナーが「タンホイザー」を作曲していたことが大きく影響している点です。私は絵画的なものよりも音楽的なものに惹かれる性向なので「タンホイザー」序曲を聴いて凄いと思ったんです。それで、この曲を踊りたいと大野さんに言ったら、「僕には踊れない」と言われました。長調の明るさが駄目だったのでしょう。なにせ畳の縁で踊りたいような人なので。でも使いました。長調とドジョウは合っていたと思います(笑)。

大野さんは文学と絵画なんですね。その意味では土方さんと一緒。テーマに対して自分のイメージを動きに展開する方法なのね。土方さんは踊るというよりも行為するということの連続。こうなって、倒れて、こっちに持ってきてという動きなんです。その動きを一つひとつ切り身を入れるように体の中に差し込む。大野さんは、私にはやや音楽性を持った振付的なものを随分してくれた気がします。大野さんと出会わなければ私の踊りの半分はつまらなかったし、土方さんと出会わなかったらやってこられなかった。共にかけがえのない存在ですね。

――『病める舞姫』(2002年、スパイラルホール)は「JADE」の土方メモリアルで上演され、大野さんと40年ぶりに共演しました。

大野さんともう一度デュオをしたらいいんじゃないかなと思ったんです。もう最後だろうと。あの時だけでなく踊り全般に言えることなのですが、自分が舞台の上で何をやったのかを正直言ってつかめない。嘘偽りなく分からないですね。特にこの時はなんだったのか、どうだったのか分からなくて。ああいう時間を必要だと思ったので大野さんに一緒に踊っていただいた。大野さんは車椅子に座っているし、ほとんど接点がなく絡めない。むしろ拒絶というか、あの空間に違うものを創る。異質なものが出ればいいという感じでした。

笠井叡『DUOの會』チラシ 撮影:行竹亮太

笠井叡『DUOの會』チラシ 撮影:行竹亮太

■新作『笠井叡の大野一雄』は何を示すか

――リ・クリエイションのやり方はどのようにされていますか?

大野さんが踊ったところを川口さんが、私の出たところを瑞丈がやります。私は特別出演となっていますが、各作品の前・間に出てきて幕間狂言をします。『犠儀』は映像がありませんが大体再現できます。『丘の麓』は同じような構成でやります。タンホイザーはナポレオン時代の軍服を着て、サーベルをもって、レトロなものなんですよ。ほぼリメイクなんだけど1点違うのは、会場であるKAAT神奈川芸術劇場大スタジオのバックに初演の映像を流すんです。ビデオを見ながら観客はリメイクを見ることになる。二重の空間になっているんですね。『病める舞姫』も構成的には変わりませんし、川口さんが車椅子に乗って出てきます。

――大野さんとのデュオ三作品と向き合って感じることは何ですか?

今思い返すと『犠儀』をやった1963年は日本の時代の大きな変わり目ですし、『丘の麓』を踊った1972年は連合赤軍事件がありました。この二つの作品は歴史の波の上で創られた作品です。しかし『病める舞姫』は違います。私のイメージでは宇宙空間で二人で踊っているんです。日本とか地球とか捨てちゃった世界です。それもあって銀河の映像を出したのですが、くだらないものを出すなと評判が悪くて(笑)。でも地球を離れるという意図が確かにあったと思うんですね。なので今回も銀河を出して床面に投影しようと思います。

――新作『笠井叡の大野一雄』はどのようなコンセプトなのですか?

私の体の中に大野一雄の影響抜きに語れない部分があります。大野さんから即興技法をほとんどマンツーマンで習いました。原点ですが一旦自分のカラダに入ると、どこがどうなっているのか分からない。新作では川口さんと瑞丈に新しく振付していく。大野一雄の振付のやり方と、土方巽の振付のやり方の両方を使います。大野さんの方は即興ですが、即興でやったことを10回やれば振付になってしまう。それと土方さんの体を刻むような振付の両方あるんです。『笠井叡の大野一雄』となっていますが「自分の血となり肉となっている部分を二人に伝えた結果出てくる大野一雄」としか言えないんだよね。でも川口さんは大野さんとちょっと資質が似ているので大野さんを思い出すんです。瑞丈を見ているとやっぱり自分の息子だなと。どうしても笠井叡の部分が出てくる。その出会いを出したいと思います。

『冬の旅』2016年(C)bozzo

『冬の旅』2016年(C)bozzo

■未来のダンスを創るのは「個の力」

――話題は変わりますが、舞踏、コンテンポラリーダンス、バレエなど様々なフィールドで活躍する踊り手と創作されています。若いダンサーたちに伝えたいことはありますか?

私はカンパニーを創りたいという意識が全然なく、グループ意識もほとんどありません。『高丘親王航海記』などもそうですが、出演者は天使館に限っていませんし、川口さんにしても今回初めてご一緒します。今はジャンルに分けられない。クラシック・バレエのファルフ・ルジマートフが私の振付した『レクイエム』を踊りましたが、あれは完全に舞踏です。だからといって彼が舞踏のダンサーではないですよね。酒井はなさんに振付してもバレエだけを振付しているわけではない。今のダンスで大事なのは、線引きをすることよりも個人が持っている力を最大限出すことだと思います。個人の力しかない。グループがいけないわけではないんですが。

――若い人に関して、一人で活動するような人も少なくありませんが、最近は厳しいご時世でもグループ的な活動がまた出てきている印象もあります。また比較的若いうちから育成というか、さらに下の世代と一緒にやりながら育てるような動きも結構あったりします。

今の若い人たちは芸術的な何かを深めるというよりもソーシャルアート、社会芸術的な仲間を作る道具としてダンスをやる傾向が結構あるんですよ。悪いわけではないのですが、最終的には一人になります。必ず一人になる。自分に目覚めたダンサーが個の力で新しい舞踊を創っていく。私が関わった中でいえばBATIKがそうです。10年前のBATIKは今と全然違う。仲間の力を使いながら作品を創っていたけれど、現在はどちらかというと(黒田)育世さんが自分の力の方に目覚めている時なのかな。(近藤)良平さんにしてもそうなの。一つのカンパニー(コンドルズ)を作っているけれど、これから未来に向けての力はまだまだ開花していくと思います。

――希望はある、ということですね。

十分にあります。社会芸術的な仲間づくりのダンスから最後に一つの本質に目覚めてくる人がいると思う。ダンスって蜂の社会に似ていて、女王蜂が生まれなきゃいけないんです。そういう一つの個の力が出てくるでしょう。

『今晩は荒れ模様』2015年(C)bozzo

『今晩は荒れ模様』2015年(C)bozzo

――最後に今後に向けての抱負をお話しください。

これからの課題ですが、完全に宇宙的な世界を感じさせるくらいアブストラクトな世界を作りたい。見たことのないくらいの。カラダって具体的でしょ? ダンスってカラダを用いるから、どうしても具体的になってしまう。上手く言えないのですが、宇宙に存在しないような運動というのがきっとあると思うんだよね。私たちは宇宙内部の動きばかりをやっている。でも宇宙で実現したことのない宇宙外の動き・抽象的なもの、それが一番動きを創る大元だと思うんです。踊りはどんどんどんどん踊ることから離れていって、踊らない踊りの方が多い傾向です。舞踏的なもので言えば、踊ることをどんどん消去して動かないという側面がある。しかし反対の側面、バリバリ動くという意味ではないんですけれども、そういうものがあっていいと思います。

取材・文=高橋森彦