【THE MUSICAL LOVERS】Season3『ミス・サイゴン』 
〜第一章:「それでいい」戦法のススメ〜

前回、『ミス・サイゴン(以下、サイゴン)』にはストーリーが重すぎてすぐにもう一度観る気にはなれないという“定説”があると書いた。定説は言い過ぎだったと思わなくもないが、実際筆者の身のまわりやネット上でもこのような意見は散見されるし、何を隠そう筆者自身、身に覚えがあるからあえて使った言葉だったりもする。まだ数回しか観ていなかった若い頃、そんなことを思ってしまった自分も、上演機会が少なくて観たい時(ほぼ毎年。特に夏)に観られない現状を作った一端なのではないか――。そんな反省をもとに、その後観劇を重ねる中で発見した、『サイゴン』の三つの“楽しみ方”を紹介させていただくことから連載を始めたい。

戦争を忌み嫌えるミュージカル

一つ目は、「それでいい」という楽しみ方。いや正確には“楽し”くはないかもしれないが、太古の昔から悲劇とはそもそもそういうものだし、それに何より、重い、つらい、やりきれない、戦争って本当に嫌だと心の底から思うことは、全人類にとって間違いなく有意義だ。そして筆者は、小中学生の頃からこの作品をはじめとする戦争もののフィクションを数多く観てきたおかげで、ほとんど生理的と言っていいレベルで戦争を忌み嫌うことができている。なんなら、完全に休暇気分でホーチミンを訪れた際にも、うっかり戦争証跡博物館なんて深刻なスポットに足を運んで改めて忌み嫌ったくらいだ。(もちろんそれだけでなく、劇中に登場するのとそっくりなヘリコプターを見てオタク心を満たしもしたのだが。)

ホーチミンの戦争証跡博物館の目玉展示品、本物の米軍ヘリコプター

ホーチミンの戦争証跡博物館の目玉展示品、本物の米軍ヘリコプター

思うに、戦争もののフィクションが創作されることは、戦争側にとっても創作側にとっても“都合のいい”話なのではなかろうか。戦争に正義なんて一つもありはしないが、絶対悪の砂場の中に一粒でも善に転化され得る砂があるとしたら、それは優れた創作の題材になることだ、というのが筆者の持論。にもかかわらず、太平洋戦争という大きな大きな砂場を持つ日本でも戦後70年余りが経ち、終戦記念日付近に戦争ドラマが放送されることもめっきり少なくなってしまった。双方にとってもったいないし、やっぱり夏には、重苦しい気持ちになると分かっていても戦争もののフィクションを観て、改めて忌み嫌いたいのだ! そう思った時に『サイゴン』が上演されていると、戦争違いとは言えすごく嬉しいのだった。

念のため申し添えておくと、『サイゴン』は決してただ反戦を訴えるだけの教育的ミュージカルの類ではなく、普遍的な人間ドラマを描いてもいる芸術品。だがそれは、あらゆる優れた戦争ものフィクションに言えることで、教育的でないからこそ、人は素直に教育される。ドキュメンタリー以上にフィクションが有効なのもそのためで、よって『サイゴン』は筆者にとって、井上ひさしや野田秀樹の戦争関連作や、最近で言うとマームとジプシーの『COCOON』などと同様、全国の青少年に観劇を義務付けたいような作品でもあるのだ。

『サイゴン』初観劇は10代のうちに!

さて、ではその“青少年”とは何歳なのか問題。筆者が初めて『サイゴン』を観たのは中学1年生の時で、正直言って話はよく理解できなかった。あらすじにある「陥落」の意味が分からなかった、どころか漢字が読めもしなかったことと、「体を売る」ということが何を指すのかよく分からなかったことを、今でも不思議なほどはっきり覚えている。それでも感動したし、全部戦争が悪いことだけはよく分かったので、中学生になっていれば十分なのではないだろうか。少なくとも、下手なファミリーミュージカルや、それこそ教育的ミュージカルよりよっぽどミュージカルデビューに相応しい作品だと、個人的には思っている。

「陥落」?「クラブに出る」??と思いながら熟読した日本初演版のパンフ…の発掘に失敗したのでロングラン後半に出回っていたチラシ

「陥落」?「クラブに出る」??と思いながら熟読した日本初演版のパンフ…の発掘に失敗したのでロングラン後半に出回っていたチラシ

そしてもう一つはっきりと覚えているのが、10代から20代前半の間は、“3年”という時間が永遠のように長く感じられたこと。戦争によって引き裂かれたクリスの帰りを3年間も信じて待ち続け、ようやく再会できると思ったらそれが最悪の形だった、17〜20歳のキムの絶望が痛いほど分かった。これは、3年なんて文字通りあっという間に過ぎ去って、ついこの間だと思っていた出来事がよく考えたら余裕で10年前だった、みたいなことがザラに起こる30代以上の人間には絶対に味わえない共感だ。その意味でもやはり、多少の難しさはあっても『サイゴン』初観劇は10代のうちに、というのがこれまた筆者の持論である。

そんなわけで、改めて戦争を忌み嫌うためにも、今こそぜひリピートを。そしてその際はぜひ、お子さんや身のまわりの青少年を誘ってみてほしい。なんて、何の回し者でもないのに勝手に宣伝してみたところで、東京公演のチケットは既に入手困難のようだが、それを逆手にとって名古屋か博多に遠征して終戦記念日付近に観たりした日には、「それでいい」戦法の有効性をきっと――“遠征”とか“戦法”とかいう戦争を連想させる言葉にすらちょっと嫌悪感を覚えるくらい――感じていただけることだろう。それでもやっぱり、日頃のストレスを発散できて、明日も頑張ろうと思えるようなミュージカルが観たい派の皆さんへ。次回はちょっと乱暴な、「アメリカめ!」戦法による楽しみ方を紹介させていただく。

(つづく)