<SPICE編集部より>
2020年6月17日から7月12日まで世田谷パブリックシアターで上演予定だった舞台『ある馬の物語』は、コロナ禍の影響により公演中止が4月16日に発表されました。SPICEは、主演を務める予定だった成河氏へのインタビュー取材を2月の段階で実施していましたが、掲載準備を進めるさなかに公演中止が決定したため、記事として陽の目を見る機会が失われておりました。しかし、主催者・世田谷パブリックシアター様の御尽力により、この「幻のインタビュー」の特別公開が急遽叶うこととなりました。実際の舞台を今夏に観ることはできなくなりましたが、このインタビューを通じて、成河氏のこの舞台にかける意気込みがどのようなものであったかを知っていただければ幸いです。そして、この作品がいつか劇場に戻ってくる日を心より待ち望む次第です。

 

『ある馬の物語』は『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などで知られるロシアの文豪トルストイが農奴解放令が発布された19世紀半ばに書いた小説を原作にして、1975年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)のボリショイ劇場で、座付き演出家だったマルク・ロゾフスキーにより戯曲化され初演。以降、国際的に高い評価を得て、日本でも様々なカンパニーで何度も上演されてきたこの作品を、今回は白井晃が新演出する予定だった。

まだら模様に生まれたことにより不遇な運命をたどる馬・ホルストメール役は成河(そんは)。今年2月に上演された『ねじまき鳥クロニクル』において、その身体性や歌唱力を大いに生かして強烈な存在感を放った成河が、久しぶりの白井演出でどのような芝居を見せてくれるのか。この作品に挑む今の思いを聞いていた。

成河

成河

■馬の目線で描く、「所有」について考えさせられる物語

――まずこの作品のオファーが来た時、トルストイの原作で、白井さんの演出で、馬の役、ということで率直にどう思われたのでしょうか。

「いや、ついに馬きたか」って思いましたね(笑)。やっぱり、人ではない役が比較的多い方だという自覚はあったので。劇団時代はウイルス役っていうのが一番尖ってたかな。その後、天使でしょ(『エンジェルス・イン・アメリカ』)、妖精と(『夏の夜の夢』)、猫と(『100万回生きたねこ』)、あと極めつけは機械の魂だよね(『わたしは真悟』)。それでいよいよ馬が来たな、という感じです。

馬って、やはりどちらかというと観察する側の動物じゃないですか。あまり能動的な印象がないというか。それでもこういう題材になりうるんだな、登場人物になりうるんだな、と感心しました。原作小説と戯曲を読んだとき、何よりも「馬の目」を印象的に感じましたね。他の役者は戯曲の構造上、人の役と馬の役とを行ったり来たりしながら演じるんですけど、僕の演じるホルストメールだけはずっと馬なんです。人間と人間社会をジーっと見ている馬の姿を通して、トルストイが見たものがとてもよく描かれているなと思いましたよ。

――馬の視点から「人間ってこういうものだよ」と見せる、という構造が非常に面白いですよね。

あと、はっきりしているテーマは「所有について」なんです。原作が書かれた頃はまさに資本主義というものが見えてきた時代で、そこにおける所有に関してのお話しなので、今でもとてもアクティブな話題だなと思いますし、むしろその所有が今や無意識になっているからこそ怖いよね、ちょっともう一回そのことを考えてみようか、って思わせてくれる作品だと思います。

戯曲が書かれた当時から既に資本主義の問題点は全部わかっていたのに、その問題がうやむやにされて、今はなんとなく快楽とか娯楽で済まされてしまっている状態だけれども、やっぱり考えなければいけないことなんですよ。人間の所有がいけないとかそういうことではなくて、元々持っている業(ごう)としてそれをどう扱っていくのか、ということがものすごく深く描かれている、そしてそれをただじっと見つめている馬、という構図が素晴らしい作品だなと思いました。

成河

成河

■粘り強い白井演出で、豊かに選択していけたら

――演出の白井晃さんとはこれまでもご一緒されていますが改めていかがでしょう。

白井さんはとにかく引き出しが豊富で、作品のこと、観客のこと、そのプロジェクトの意義、といったものを考えて、丁寧にご自身の引き出しを僕たちと共有しながら進んでくださる方です。僕自身、トルストイの作品はすごく独特で小難しいという印象を持っていたんですけど、この作品はすごくスッと入ってきました。今作がトルストイへの素晴らしい入り口になる気がします。そして、それをきちっとエンターテインメントとして感じられるものになるように、白井さんはいろんな方法を考えて、それをキャスト・スタッフたちと共有しながら作ってくださると思います​。

――歌やダンスも取り入れた舞台になるということで、共演者には多方面でご活躍されている方々が集まったな、という印象です。

身体表現という面では、元の台本にすごい無茶ぶりが書き込まれているんです。ロシアの国立劇場の方々の渾身の力作で、身体表現を交えながらいろんな情景を身体一つで見せていくというのは、演劇として可能性がものすごくあると思います。歌唱の部分に関しては、とても美しい詩が出てくるのでここで主に歌唱を使うんだと思いますけど、ただ非常に抽象的で哲学的な詩なので、どういう方法が一番現代に響くのか、いわゆる“ミュージカル”という手法が必ずしも最適な表現とは限らないですし、歌唱表現をどこまでするのか。結構な凄腕の何でもできる人たちが集まっているカンパニーなので、豊かに選択していけるんじゃないのかな。

――今おっしゃった「すごい無茶ぶり」というのが気になります。

ええ、無茶ぶりですよ! ……大丈夫です、四本足でヒヒーン!みたいな身体には絶対にならないから(笑)。ロシアの戯曲はとにかくト書きが文学的に書き込まれていて、この戯曲は「馬の群れが突然〇〇のように変わる」とか「喜びの群舞になって」とか、形容詞だらけでもう好き放題に書かれてる(笑)。ただそれによって、すごくダンサブルにも作れるし、非常に密度の高いフィジカルなものにもできる。どっちの選択肢もある中で、それをあまり極端に振らないのも白井さんのいいところだと思うので、今の僕たちとか、今のお客様に、トルストイのいわんとしたことが一番素直にストレートに伝わる形になればいいなと思っています。

成河

成河

■「好きだから見る」だけじゃ本当にもったいない

――『ある馬の物語』というタイトルだけを見ると、ファンタジー的なイメージを持つ方もいるのかなという気もします。

原題は「ホルストメール」なんですよ。観察に観察を重ねて厳選された言葉で書かれた、本当に“言葉の演劇”なので、翻訳が今回どうなるのかドキドキしてます。詩の部分が、たぶん歌パートの「詞」ということになるんでしょうけど、すごく哲学的な内容を簡単な歌にはめていったらもったいないですし、どういうふうに言葉を選んでいくのか、非常に難しいと思います。でも、さすがロシアですよ。演劇の一番得意とするものを全部詰め込んだ、今や王道とされている効果的な構成がし尽くされていて、よくできてるな、と思いました。時系列の構成とか、あとリフレインの手法がとても効果的ですし、ロシア演劇の素晴らしさが詰め込まれています。ロシア演劇というと、リアリズムを想像しちゃいますけど、もっと懐深いですから。歌と身体表現がどこまでいくのかは楽しみ半分、怖さ半分ですけど。

――『ねじまき鳥クロニクル』ではインバル・ピントの演出で素晴らしい身体表現を見せてくださっていた成河さんだけに、その部分でも期待しています。

いや、ホルストメールは他のみんなが走り回ってるときに、じーっと見てるだけでいいから(笑)。でもやっぱりインバルが僕に教えてくれたことは、決して派手ではない身体の表現だったりしたので、だからこそいろんなものに役に立っているというか、フィジカルに関しては原理主義的でありたいな、と思ってます。

――今回、振付が山田うんさんです。

ヤバくない?(笑) 『ねじまき鳥―』もそうでしたけど、インバルの現場には山田さんのカンパニーのダンサーさんが参加していましたし、だから今回もすっごい楽しみにしています。もう本当にいろんな引き出しが揃っているので「選びたい放題だぜ、白井さん!」って感じですよね。

――『ねじまき鳥―』もそれこそ本当にいろんな引き出しが開いて、次から次へと名人芸が飛び出してきたような感じでしたね。

演出家の西悟志さんが見に来てくれて、僕が電話を取ろうとするけどなかなか取れないシーンを「電話芸」って面白がってくれたのがすごい嬉しかったんですよ。今回インバルは構成の方に主眼を置いていて、僕が隅々まで徹底して振り付けてもらったのはあのシーンだけだったんです。インバルは日本の人がなかなか思いつかないような創作の仕方をする人だから、改めて人との距離感という意味でもすごく僕にとっては心地よかったです。僕には好きな創作と苦手な創作があるな、と自覚してきている頃合いだったりもして、やっぱりゼロからモノを作るのが好きなんですよね。どうしてもパドックをいかに走るか、みたいなことに対しては年々意欲が失われていって、だからこそ来年出演の『子午線の祀り』は改めて楽しみですね。2017年のときは、ちょっとパドックから出てみようか、みたいなことの究極をやったつもりだったので。「純粋創作」なんて言ってみたりしましたけど。なんかインバルを見ていると、そんな言葉が浮かんでくるんですよ。「それ以外を私は創作と呼ばないわ」って言われちゃうみたいな(笑)。

――やっぱり観客としてもそういうものが見たいです。ゼロからというか、このカンパニーだから作れたものなんだな、というものが。

お客さんにもある程度の覚悟を強いることになるけどね。「どうなっても知らないよ?」っていう。まあ値段が値段だけに「知らないよ?」ってなかなか言えないっていうのが、僕の一つ持っている問題意識ではあるんですけど。本当は“ジャケ買い”できるような値段だったらもうちょっと「知らないよ?」って作る側も言えるんだけど、なかなかそうはいかない。ただ、世田谷パブリックシアターは高校生以下とかU24は特に値段設定を低く抑えているじゃないですか。だから「ジャケ買いしに来て」ってすごく思います。「好きだから見る」だけじゃ、本当にもったいないから。「好きだから見る」ってイコール「好きなのしか見ない」ってことで、それは演劇の仕事じゃないな、って思うので。

――若い世代の人たちにも、もっと劇場に足を運んでもらって、こういう作品を見てもらいたい。

すごく演劇の醍醐味を持って書かれた戯曲で、演劇の国ロシアが作った、まさに演劇のための戯曲なので、「演劇って楽しいんだ」ってびっくりするしワクワクするし、ちょっと固定観念を持ってしまっている人にこそ見て欲しいです。今作は「所有する・される」という関係について良し悪しではなくて、それは友人や家族、上司と部下、あるいは土地とか国とか「私のもの」と言えるものってなんだろう、ということについて考えざるを得なくなるような戯曲です。あと「役に立つ」ってなんだろう、とか。噛めば噛むほど味が出るようなテーマとキーワードに満ち満ちています。

――しかも身近なことですしね。資本主義であったり、所有の問題についても、普段あまり意識せずになんとなく過ごしている人がほとんどなんじゃないでしょうか。

そういうのがきちっと届いたらどういう変化が起こるのか、というのが本当は演劇の命題だったりもするし。そういう割と具体的な目標のために演劇は実はあったりするんでしょうから。

成河

成河

■思い入れのある、大好きな劇場での公演

――今作、そして来年(2021年)再演が決まった『子午線の祀り』と世田谷パブリックシアターでの公演が続きます。

世田谷パブリックシアターに初めて出演したのは2008年の『春琴』でした。あれは僕にとって大きかったですね。とにかくちょっとよそで作れないようなことができるところなんだ、というのが最初の印象でした。何より僕は演劇を始めたばかりの頃から、観客としてシアタートラムが好きでずっと通っていたんです。だから思い入れはめちゃめちゃありますよ。『春琴』が再演を重ねて長くやっていましたし、あと、世田谷パブリックシアター主催公演は2014年の『THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー』と、2017年の『子午線の祀り』に出演しました。丁寧に時間をかけてその都度必要とされるクリエーションができる場所だし、観客としても大好きな劇場です。

――世田谷パブリックシアターやシアタートラムに行けば、何か面白い芝居をやってるんじゃないかな、という思いは確かにありますね。

劇場がどういう場所であるべきか、ということはずっと議論されていることで、だからお客さんに「作品を何で選べばいいの?」って言われたときに「劇場で選べばいいんだよ」って言えるのが理想ですよね。今は俳優で作品を選ばざるを得ない、という方が多い。選択肢の少ない貧しい時代なんですよね。俳優で選ぶこと自体を否定はしません。劇団や演出家で、という方もいらっしゃるでしょう。ただ、劇場で選べる時代が来たらいいな、と思います。そういう日に向けて僕も頑張るし、発言をしたいし、お客さんもその日を夢見て欲しいなと思っているんです。そういう意味では、世田谷パブリックシアターは先端を行っている劇場だなと思うので、何か僕にできるのなら何でも力になりたいと思うし、寄り添いたいと思っている劇場ですよ​。

成河

成河

■様々な舞台に出演する中、一番大事にしているものとは?

――これまで成河さんがご出演された舞台の経歴を振り返ってみると、本当に幅広くて決して一言では語れません。

ホントだよね。自分でも嫌になっちゃう(笑)。

――国内外問わずいろんなタイプの戯曲だし、いろんなタイプの演出家だし、ジャンルも限定されていない。そうやって幅広く様々な舞台に参加している中で、自分で「ここは大事にしている」という“核”のようなものはあるのでしょうか。

それ、ホットな話題ですよ。もうずっとそんなことばっかり考えてて……。でもね、結論から言うと、この1、2年でいよいよわかんなくなっちゃった、って思って。僕たちは本当に恵まれた狭間の世代で、学生時代からすべての演劇がバラバラな状態で同じ土俵にあったのを見てきたギリギリの世代なんです。

――成河さんの学生時代というと、大体1990年代後半〜2000年前半あたりでしょうか。確かに様々な演劇が、いい意味で区別されることなく混在していた時代だったかもしれませんね。

だって僕は、唐十郎のセリフも言えて、平田オリザのセリフも言える役者を目指したい、と思って演劇やってたからね。どれもこれも面白がって見ていたので、なぜ今、すべてのジャンルをやっている人がいないんだろう、ということがとにかく疑問で。あれもこれも好きなのにどれか一つだけしか選べないという、その状態がずっと許せなかったし、今でも許せない。だから僕はあれもこれもやってきて、そうすると同じところと違うところがあって、でも根っこは一緒だ、っていくらでも思えるんですけど、なんか去年、今年くらいでわからなくなっちゃって。その「わかんなくなっちゃったな」を楽しめたらいいな、とは思ってるんですけど。ただやっぱり、インバル・ピントと『子午線の祀り』を同時にやる人はいないよな、って思ったら、やっぱりこれはわかんなくなるわ、と思うし(笑)。それで今あらためて「一番大事にしてるもの」と問われて、それは……人間関係の取り方、人との距離感かな、一番大事なのは。

――それは、クリエーションをしていく中で、ということでしょうか?

“技術”はそれぞれの畑で無限にあって、はっきり言ってその畑で1年2年暮らせば誰だって平均的な技術は身に付く、っていう程度のことだと思うんです。技術はどうにでもなるし、同時に終わりはない、だからそこの話をしていてもしょうがなくて、もっと根本にあるのは“集団創作”っていうことだと思うんですよね。技術は単に材料だから、やっぱり自分にとって一番大事なのはその都度、どういう創作集団がどういう観客集団と向き合ったか、ということで、多分僕はそういうことが好きだし楽しいんです。具体的に言うと、どういう稽古場を過ごすか、どういう人たちとどういうふうに知り合えたか、です。なんとなく気心の知れた人たちとなんとなく分かり合った気になって出来上がった集団、というのが一番むなしいですよね。一人芝居をやったときなんか特に、スタッフはじめカンパニーの皆さんとどういう集団を作るのかという、自分たちの集団がよりクリアに見えた気がします。

――つい私たちも表に出る役者さんのことをメインにとらえがちなんですけど、スタッフ含む全体との関係性がものすごく大事ですし、それは一人芝居に限ったことでは全然ないですよね。

舞台ってやっぱり集団芸術だと思うんですよ。だから本当に面倒くさくて大変だし、っていうところと向き合って初めて出てくる集団の何か答えみたいなものがお客さんに刺さっていくと思うし、ただなんとなくやっていてもそうはならないですよね。いろんなジャンルを行き来していると、“共通言語”が違う人たちと一緒にやっていくわけなんですが、そのときに共通言語が違うからこそ取れる関係になるんですね。つまり「何のために表現をするか」というところでしか繋がれないんです。各々が表現者として何をするのか、そして私たちはどういう集団として何を表現するのか、それをどういう集団に対して見せるのか、ということもまるごと含めた芸術行動だな、と思うと、やっぱり人との関係の取り方が一番大事で、だから絶対に稽古が必要だし、稽古のない本番なんて考えられない。

――どういう稽古場を過ごしたかというのがやっぱり本番に現れるんでしょうね。

絶対出ると思います。もういい加減僕も、演出家の方のしつこくしぶとい妥協のない姿勢に甘えるだけじゃなくて、その上を行くくらい粘着質に「ねえねえ、資本主義のことについて話そうよみんな」って……そんなふうに力んでます。といって別に力んでないけど(笑)。世代としても落ち着いた世代が揃っているし、もうバカなフリとかするのやめて。僕たちすぐバカなフリするじゃないですか、そういうのやめて、ものを考える稽古場でありたいですね。

成河

成河

『ある馬の物語』だけでなく、これまでの出演作品や、演劇界についても語ってくれた成河。今はまだ公演中止や延期が続いているが、必ずやまた演劇のある日常が戻り、稽古場で新たなクリエーションが生まれる日々を祈っている。

取材・文=久田絢子  写真撮影=中田智章