歴史的な文脈を踏まえつつ、あらゆる視点から歌舞伎にアプローチして現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する「木ノ下歌舞伎」が、2020年5月30日(土)より東京芸術劇場プレイハウスで『三人吉三』を上演する。河竹黙阿弥による歌舞伎の人気演目として有名な今作を、木ノ下歌舞伎では通常は上演されない廓話も含めた通し上演の形で、2014年に初演、2015年に再演してきた。
約5年ぶりとなる今作の上演にかける思いを、木ノ下歌舞伎の主宰で監修・補綴を担当する木ノ下裕一に聞いた。なお、本インタビューは昨今の状況を鑑み電話にて4月上旬に実施した。

“江戸”という一つの時代の転換期を描いた作品

――まずは今回の上演が決まったときのお気持ちをお聞かせください。

木ノ下歌舞伎はこれまで、東京芸術劇場では2015年にシアターウエストで『三人吉三』、2016年にシアターイーストで『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』と作品を上演してきました。いずれ大劇場のプレイハウスでもできるといいですね、というお話は芸術劇場側ともしていたので、いよいよチャレンジさせてもらえるんだな、と嬉しかったです。『三人吉三』を今年上演することの意味みたいなことを僕なりに考えていまして、この作品は安政7年(1860年)という江戸時代が終わる数年前に初演されているんですが、安政というのは非常に大変な時代で、『三人吉三』が上演されるより前の安政5年にはコレラが大流行したし、更に少し前の安政2年には「安政の大地震」が起きて江戸が壊滅状態になるという、そんな時代に上演された演目なんです。なので、この戯曲は「時代の転換期の話」というのが非常に大きなテーマだと思います。一つの時代の終わりであるとか、江戸という街が姿をかえていくところが背景にある作品ですから、2020年というある意味節目の年に、(公演を企画した時点では)東京オリンピックもあるということでそう思っていたんですが、改めて東京のかつての歴史を感じられるような作品を上演することはとても意味があるんじゃないかと思いました。

木ノ下裕一

木ノ下裕一

――『三人吉三』は、歌舞伎ですと通常は廓の話をカットした『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』のバージョンが上演されますが、木ノ下歌舞伎では廓話も上演する『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』のバージョンを取っています。この意図を教えてください。

これははじめ、演出の杉原邦生さんが言いはじめたことなんです。「先生(木ノ下のニックネーム)、廓話も上演したほうがよくないですか?」と。で、改めて原作を読み直してみると、なるほど、そうなんです。「時代の転換期」というテーマで原作を読み解いた時に、やはり廓の話が必要だと思ったんですね。『三人吉三』における“三人の吉三郎”の物語は、時代を超えられずに死んでいってしまう三人の姿を描いているんですが、かたや廓話の方は様々な荒波、因果が押し寄せても生き残っていく家族を描いているという、その2つのギャップというか、2つが対称になっていることが、作者の黙阿弥の意図の一つだろうと思いました。三人の吉三郎の話だけの上演では、小悪党の青春物みたいなイメージが強いですけど、そこに廓の話があることによって、三人の吉三郎が死んでいってしまうことの哀れさが引き立つという側面もありますね。あとは、「巴白浪」で上演すると、物語が始まってから終わるまでが数か月程度の話になってしまいます。そこに廓話が入ってくることで、年越しの大川端の場面から始まって、最後大晦日で終わるという1年のドラマが描かれることになるんです。「年越し」ということが『三人吉三』においては非常に大事なキーワードで、時代の転換点、何かが改まる瞬間のドラマなんだということが、廓話があることで尚の事際立って見えるようになるのではないかと思います。

――木ノ下歌舞伎はこれまでの上演作品を見ていても「通し上演」や「全曲上演」といった形を積極的に行っていますが、そのあたりはどのように意識されていますか。

演目によっては、現在上演されていない場面が実は重要なんだということを、原作を読み直したときに発見するんですね。『三人吉三』の場合は、全曲上演することによって現代性を取り戻すのではないかと考えました。全曲上演の場合、途中に地獄の場面というのが入ってくるんですけど、これは安政7年の初演以降は一度も上演されていなくて、木ノ下歌舞伎が2014年にやるまではどこも上演していなかったという幻の一幕なんです。それも含めて上演する木ノ下歌舞伎バージョンが生まれたのは、演出の杉原邦生さんが原作を読んで「ここもやった方がよくない?」と言ったことがきっかけだったんです。僕は最初は三人の吉三郎だけの巴白浪バージョンでやったらいいんじゃないかと思っていたんですけど、杉原さんが廓話と地獄の一幕も含めた全曲上演でどうかな、ということを提案してくれて、それで改めて全曲を読み直したときに「ああなるほど、これは現代性がある」と思ったんです。

杉原演出には「批評性とメロドラマの両立」と「空間の巧みさ」がある

――杉原さんとはこれまでも何度もクリエイションを共にされてきていますが、改めて杉原演出と木ノ下歌舞伎の相性の良さはどういったところにあると思われますか。

歌舞伎との相性の良さということで考えると、それは杉原さんが「メロドラマ」をとても深く豊かに描ける演出家であるということが一つあります。メロドラマというと、割と単調なお涙ちょうだいのドラマみたいな印象がありますがそういう意味ではなくて、杉原さんが本から丁寧に紡ぎ出していく物語が、非常に身につまされるメロドラマ的な丁寧さとわかりやすさというのを補完しつつも、ちゃんとその中に批評性があって、小さいドラマに留まらないんですよね。例えば昨年杉原さんが演出した『グリークス』はまさにそうでした。ちゃんとドラマとして観客が没頭できるように整理して作る、冗漫なところはかなり潔くカットするということを行いつつ、女たちから見たギリシャ神話というような、ギリシャ神話に対する批評的な視点というのをちゃんと取り入れて、批評性とメロドラマという、一見相容れないように見える要素を両方とも持たせていました。しかもそれが両方ただ存在するというだけではなく、お互いを増幅させていくように作品を創ることができるというのが、杉原さんの演出の志向的な特徴としてあるのではないかなと思います。

杉原邦生

杉原邦生

それから、やはり「空間の上手さ」がありますよね。歌舞伎って役者の立ち位置とか座り位置によってドラマがどんどん動いて行ったり、舞台の高さでも役の身分とか格みたいなものを表現していたり、花道をはじめ舞台構造自体も作品の大きな要素になっているわけです。そういう意味で、歌舞伎は台本に書かれてあるセリフだけで物語るものではなくて、空間自体でも物語る演劇ですよね。そうした歌舞伎の歴史とか歌舞伎における舞台の使い方とかをちゃんとわかったうえで、自分自身の劇空間に落とし込んでいくことができるのが杉原さんの演出の良さだと思います。それは杉原さんがセンスがいいということもあるんですけど、そもそも非常に勉強家でたくさん歌舞伎も見ていらっしゃいますから、そういう演劇的教養というか、日本の伝統芸能に対する深い教養みたいなものが遺憾なく発揮されているんだろうなという感じがします。

――杉原演出の特徴の一つとして、古典に現代性をうまくリンクさせる手腕の素晴らしさもありますよね。

木ノ下歌舞伎の場合、杉原さんが古語を現代語訳することはありますが、それは彼の創作スタイルからいうと例外的で、普段は戯曲を書かない演出家ですよね。既存の戯曲をどういう風に演出の力で現代に立ち上げるか、物語をどうやって現代に届けるか、ということをずっとやってきた演出家です。僕は僕で古典の現代性はどこにあるのか、ということが関心事ですから、そういう意味でお互い思考がマッチしているのかもしれないですね。実は、僕と杉原さんって好きなものとか趣味は全然違うんですよ(笑)。でも、だからこそ一緒に作品が創れるのかもしれませんね。廓話があった方がいいんじゃないかとか、地獄の場面があった方がいいんじゃないかという発想は僕にはなかったですし、これはちょっと自分では思いつかないなというあっと驚く演出があったりとかしますし。

「自分たちの武器」を見つけるための完コピ稽古

――木ノ下歌舞伎の稽古の特徴として挙げられる「完コピ稽古(歌舞伎の動きやセリフを完全にコピーする稽古)」ですが、なぜ完コピ稽古をやるのかというその意義を教えていただけますか。

普通の現代口語のお芝居だと、本読み稽古で読み合わせをして、時にはディスカッションもして作品を深めていくというような稽古が効果的だと思うんですが、先ほども言いましたが台本の文字だけが歌舞伎じゃないですから、どうしてこういう語り方をするのか、どうしてここで見得をするのか、どういう音楽が入って来るのかなど、いわゆる歌舞伎の様式と台本とは非常に密接に繋がっていますので、古典歌舞伎の上演方法を深めていく時間が必要です。これが一つ目の理由。その上で二つ目の理由があって。でも、完コピ稽古で一言一句、一挙手一投足違わずやろうと出来るだけ頑張るんですけど、やっぱりどうがんばっても歌舞伎役者のようにはできないですよね。じゃあこれを現代演劇でやるときにどういう方法があるのかというのをみんなで考えるというか、自分たちの武器を見つけ出さないとこれは手も足も出ない作品なんだなということを認識する時間としても有効だと思っています。あと、俳優さんによって抱いている歌舞伎のイメージが違いますから、それを一回揃えるという意味合いもありますね。

『三人吉三』出演者8人ビジュアル  (C)吉次史成

『三人吉三』出演者8人ビジュアル  (C)吉次史成

――『廓初買』ですと、主役の三人だけのお話しではない群像劇的な作りになりますから、そういう意味でも非常に楽しみなキャストが集まっていますよね。いい意味で、このメンバーがこの作品でどういう舞台を見せてくれるのか予想がつかなくて期待が高まります。

歌舞伎ですとこの役はこういう感じだろうな、というイメージがありますから、そのイメージに沿うように「ああ、なるほどな」と思わせる反面、新しい役の側面を見せてくれそうだと思わせるという、その両方がないとダメだと思うんです。イメージ通りそのままだと予想がついちゃうので面白くないし、全然違うとまたそれも面白くないでしょうから、そこのバランスは僕も今からワクワクしています。例えばみのすけさんは、一見すると歌舞伎で(市川)左團次さんや(坂東)彌十郎さんがやっている伝吉のようなイメージや雰囲気ではないんですけど、伝吉という役を読み込んでいったときに見える、ある種の狂気やじっとりと暗い感じとかを出していただけるんじゃないかなと思っています。

――では最後に、この公演を楽しみにしている方々へのメッセージをいただけますか。

ずっと再演したいなと思っていた作品ですし、これだけ恵まれたスタッフ・キャストで、プレイハウスで上演できるということもとても嬉しいことで、いろんな意味でとても恵まれた公演です。木ノ下歌舞伎にとっても、初めて出会う俳優さんもたくさんいますし、いろいろ新しい挑戦でもあり集大成でもあると思うので、台本の補綴作業も全部一からやり直しましたし、全精力かけて立ち上げようとしている作品です。

『三人吉三』は、河竹黙阿弥という日本の劇作家の歴史の中でも偉大な人物の一人が自分で「会心の作である」と言った作品ですし、しかもそれを全曲見られるというのは今のところ木ノ下歌舞伎以外ないわけで、今回見逃すと次いつ見られるかわかりませんから、少しでもよりいいものをお目にかけることができるように頑張ります。

リモート取材・文=久田絢子