俳優の津田寛治(54)が14日公開の映画「山中静夫氏の尊厳死」(村橋明郎監督)で俳優の中村梅雀(64)とダブル主演を務める。今作で演じるのは、中村演じる末期がん患者に寄り添う呼吸内科医。数々の作品で存在感を放つ名バイプレーヤーに、今作への思い、俳優人生の転機について聞いた。

 物語の舞台は長野県・佐久市。生まれ育った信州で死ぬことを決意した末期がん患者・山中静夫(中村)を担当することになった医師・今井俊行(津田)は、心を病みながらも「尊厳死とは何か」を自らに問い続け、患者と真摯に向き合っていく――。

 作中の津田は、中村演じる山中への優しい語り口調が印象的だ。「相手は子どもじゃないんだから、ああいった話し方はよくないんじゃないかという意見もあるかもしれません。でも、自分が医者ならどうするかということを大切にしました。たぶん、子供に話しかけるようにしたほうが患者さんは落ち着くということをお医者さんは経験していると思うんです。かなり辛そうだったら笑顔でゆっくりと、体調がいいときであれば人生の先輩に敬意を払いながら…というようにお医者さんは使い分けていると思うんですよ。そこは意識しましたね」と役へのアプローチを振り返る。

 子どもの頃からの映画好き。そのルーツは幼少期を過ごした地元・福井県にある。「福井市の近くに住んでいたんですけど、いわゆる地方の駅前って普通はそんなに映画館の数は多くないですよね。でも、当時の福井の駅前には10以上の映画館があったんです。レパートリーに富んだ映画館があった影響はかなり大きかったですね」。

 93年に北野武監督の大ヒット作「ソナチネ」で映画デビュー。北野監督、同作で共演した故・大杉漣さんは「恩人」だ。「たけしさんに出会わなかったら今の僕はないですね。大杉漣さんは『ソナチネ』の現場で初めて出会った自分をすごく気にかけてくれて…。愛のある方でしたね」としみじみ回想する。

 「ソナチネ」撮影時には、大杉さんの「愛」を象徴する、こんな出来事があったという。

 「竹中直人さんが初監督を務めた『無能の人』(91年公開)という映画に大杉さんも出られていて、『凄くよかったです』『大杉さんの役も素敵でしたと』いう話をしたら『今度、竹中さんに紹介するよ』と言ってくださったんです。当時の僕は映画の現場よりもバイトのほうが多くて、そんなことを言ってもらえるだけでうれしかった。そうしたら後日、大杉さんから電話がかかってきて、『あした、竹中さんに会いに行くんだけど一緒に来る?』って言うんです。バス停で待ち合わせて、一緒にバスに乗って撮影所に向かったんですけど、そこで実際に竹中さんにお会いすることができて『無能の人』の凄いと思うところを話せたんですよ。そうしたら竹中さんが『君、見てるね』とすごく喜んでくれて。その様子を大杉さんはニコニコしながら見守ってくれていました。でも実はその日、大杉さんは竹中さんにあいさつした後、お子さんを幼稚園に迎えに行かないといけなかったそうなんです。奥さんに『ごめん。今、若い俳優が人生かかっているから悪いけど行けないわ』って電話していたようで。後で大杉さんにお礼の電話をしたら、奥さんが出られて、そこで初めて分かった話なんですけどね。大杉さんは“ここで一緒に帰っちゃうと、彼がチャンスをものにできない”とずっと一緒にいてくれたんです。そのおかげで、僕は竹中さんの次の映画へ出演することができました」。

 作品によって様々な顔を見せる名バイプレーヤー。「善人」と「悪人」どちらを演じるのが好きかと聞くと、「やはり悪人を演じるほうが好きですね」と笑顔で答える。「俳優さんはみんなそう言うと思います。悪役のほうが感情の振れ幅が大きいこともあって、実は演じやすいんですよ。良い人の役は、良い人の度合いが高いほど演じにくい。“あいつは目の奥にそよ風が吹いているような良いヤツ”といったような役が俳優にとっては一番難しいですね」。

 「死」を見つめ続け、心を病んでいく医師を演じるにあたり、10キロ以上の減量を行ってクランクインした今作。「この映画は亡くなっていく山中静夫さんが丁寧に描かれていることはもちろんですが、亡くなっていく人を日常的に看取っているお医者さんからの目線も描かれている。お坊さんのように亡くなった人に手を合わせることとはまた違って、本当であれば助けたかったのに助けられなかった忸怩(じくじ)たる思いを日常的に積み重ねている仕事ですよね。それを丁寧に映画として描いたのは初めてなんじゃないかと思います」と作品の魅力を語る。「挑戦的な物語の中で、その当人である医師を演じられることは役者冥利に尽きます。今回の役は、自分の中でこれからずっと残っていくものになると思います」と充実の表情を浮かべた。