「関白宣言」「北の国から」などの大ヒット曲で知られるさだまさし(68)が28日放送の読売テレビ「八方・陣内・方正の黄金列伝」(日曜後4・30)に出演、数々のバッシングや35億円の借金を抱えながら歌い続けてきた「半生」を激白した。

 コンサートの回数、通算4400回以上で日本のアーティストで最多。あまたのヒット曲を生み出し、印税も「莫大です」と自ら認めるが、道のりは波乱万丈だった。

 21歳でフォークデュオ「グレープ」を結成し、デビュー2曲目「精霊流し」がいきなり大ヒット。「働ぎすぎて体を壊し」4年で解散したが、ソロデビュー後も「雨宿り」「関白宣言」「案山子」「北の国から」など大ヒットを連発した。

 だが、思いもかけないバッシングに悩まされ続けたという。死者の弔いを描いた「精霊流し」では「暗い」と非難され、母への思いを書いた「無縁坂」では「マザコン」と言われ、男女の出会いをコミカルに描いた「雨やどり」では「軟弱男」と罵られ、「めしは上手くつくれ」と歌った「関白宣言」では「女性蔑視」とやり玉に挙げられた。

 さだは「歌を歌って悪口言われ、日本に居場所がない」と傷つき、祖父母が出会った国、中国に2年間、「逃げた」。そのとき、中国の通訳から「高い塔はその影の長さで高さを測る。偉大な人は批判者の数で偉大さを測ることができる」との言葉を教わり、「一気に(バッシングが)気にならなくなった」という。

 中国では大作のドキュメンタリー映画「長江」を製作した。映画自体はヒットしたが、「予算をかけすぎたため」、さだのもとには「金利を含めると35億円の借金」が残った。進行役の陣内智則(46)から「35億?ブルゾンじゃないですか」とツッコまれたが、さだは周囲に「倒れるまで走らせてくれ」と伝え、覚悟を決めたという。

 それからはコンサートで全国を飛び回る日々、多いときは2日に1回ステージに立った。そして57歳で「ほぼ完済」にまでこぎつけたという。さだは「不埒にも、60歳までかな。60歳になったら一線を引いて好きなことしようかなと思っていた」と振り返った。

 だが、ここでさだの人生に衝撃を与える事態が起きた。2011年の東日本大震災である。「音楽家なんて何の役にも立たない。音楽より泥かきしないと…何もできない」との思いに打ちのめされたという。

 震災発生から1カ月半たったとき、友人の落語家、笑福亭鶴瓶(68)と一緒に被災地に慰問に入った。さだが、歌を披露すると、震災で「家も財産も家族も失い」呆然とするしかなかった人たちが「きょう初めて泣いた」と駆け寄ってきたという。

 さだは「一緒に泣くことしかできなかったけど、鶴瓶ちゃんには連れてきてくれてありがとうとお礼を言った」と思い出す。その後、さだは休みのたびに被災地を訪れるようになった。

 10代でバイオリンの道を断念しノイローゼで苦しんだとき、「何のために生きるのか」と自問し、「(答えが見つかるまで)体を借りる」と決めたというさだ。68歳の今、「これからは?」と聞かれると、「60歳のときに80歳まで(体を)借りることにした」と説明、「存在理由」を探し求めるために歌い続けると、“生涯現役歌手”を宣言した。