甲子園が静寂と緊張感に包まれていた。1983年の第55回大会で夏春連覇を狙った池田が、準決勝で同じ四国の明徳(現明徳義塾)の2年生エース・山本賢に大苦戦。8回表を終えた時点で0―1で残された攻撃は2回。現在は日本生命に勤務する当時主将だった江上光治氏(54)が「やばい。負けるかもしれん」と思ったほどにナインに焦りの色が広がるなか、ベンチ前の円陣で蔦文也監督(当時)の「もうサインは出さん。ここで逆転したら、あと1回守るだけでええんぞ」の言葉が、選手に本来の姿を取り戻させた。

 「何としても1点取るんだということで、序盤にサインがたくさん出ていた。それが伏線となって、あの円陣でリラックスできた部分はありました」

 1死後、8番松村宏昭が初球を打った何でもない一塁方向へのゴロを相手一塁手が失策したことで流れが変わった。続く井上知己が1ボールから膝元の直球を叩いた打球は右中間を破る同点三塁打。静まりかえっていた球場に大歓声がこだました。「僕らの勝ちを望んでくれている。みんながオレたちの味方なんだと」。江上氏が回想したように、こうなれば池田のペース。1番坂本文良が2球続いたカーブを捉え一、二塁間を破る右前適時打。「わずか5球」で逆転してみせた。

 前年夏の甲子園大会制覇後、結成した新チームの練習試合で敗れたこともあり接戦を覚悟。2回に先制されると、早い段階で得点しようと走者を出せばヒットエンドランや盗塁を試みたが、裏目に出ていた。準々決勝までの3試合で43安打29得点の「やまびこ打線」が散発3安打と沈黙。徹底して低めに集まる真っすぐと曲がり幅の大きいカーブを駆使した緩急に、スライダーがアクセントとなって凡打の山を築かされていたのが嘘のような逆転劇だった。

 37年前に打ちあぐねた右腕を、江上氏は改めて称える。「打ちやすそうに見えても打ったら凡打になっていた。あれっ?と。思っているより、曲がりの大きいカーブでした」。

 決勝では横浜商に完勝し史上4校目の夏春連覇を達成した。以降、5度の春夏連覇はあるが、夏春連覇は池田が最後となっている。

 ≪強豪圧倒自信に≫夏春連覇達成において、江上氏が「もう一つのヤマだった」と振り返ったのが1回戦の帝京戦だ。組み合わせ抽選会で先にクジを引き、後から飛び込んできた出場校中3番目のチーム打率・381を誇った東京大会覇者の帝京ナインが対戦決定を喜んだことで「プレッシャーを感じた」という。ただ、ふたを開けてみれば、初回に水野雄仁の適時打と吉田衡の3ランで4点を先取するなど14安打11得点で水野が6安打完封する圧勝劇。「オレたちはやれる」と不安が消え、確かな自信を得た一戦となった。

 ◆江上 光治(えがみ・みつはる)1965年(昭40)4月3日生まれ、徳島県出身の54歳。池田では1年夏から背番号16でベンチ入りし甲子園は2年夏から3季連続出場。2年夏は「3番左翼」で甲子園初優勝に貢献し主将となった3年春も優勝し同年夏は準決勝でPL学園に敗れた。早大でも主将を務め社会人野球の日本生命でも選手、マネジャーとして活躍。