中国キラー・伊藤美誠をつくった「バケモノのような選手」にする訓練

中国キラー・伊藤美誠をつくった「バケモノのような選手」にする訓練

 先日、スウェーデンのハムスタッドで開催された世界卓球選手権(団体戦)。決勝に進んだ日本の女子代表は、3大会連続で中国の壁に屈した。しかし、その試合の一番手として、元世界ランク1位の劉詩ブン(=雨かんむりに文の旧字体)をフルセットの激闘の末に大逆転で破った伊藤美誠(みま/スターツSC)のプレーは、今大会で最も強いインパクトを残したのではないだろうか。

 長い卓球史のなかで最高の結果を残してきた中国卓球の模倣ではなく、「型破り」あるいは「奇想天外」とも称される独創的なアイデアと繊細なボールタッチ、多彩な技術で強固な牙城の一角を崩したのだ。「今度は日本が中国を倒すという思いでやっていきたい」と語った17歳は、どのように唯一無二のプレースタイルを身につけたのか。練習パートナーの証言や、過去の取材ノートから考えてみたい。

■伊藤の才能が凝縮された”ミラクルショット”

 卓球王国の威信を背に戦う中国のトップ選手たちは、一本一本の重みが増してくる終盤になればなるほど、無類の勝負強さを発揮する。その中心選手として長く国際舞台で活躍してきた劉詩ブンを相手に、フルゲームまで持ち込んだ全日本女王もまた、最後はその底力に屈してしまうのか。

 伊藤自身が「あのポイントがなければ、粘りきれなかったかもしれない」と振り返ったシーンは、そうした空気がセンターコートを覆い始めた矢先に起こった。

 1−5と差をつけられてコートチェンジしたあと、伊藤のサーブからラリーとなり、劉詩ブンが打ち込んだボールはネットにひっかかり、小さく弾んでサイドへ流れていく。不運な失点になるかと思われたが、伊藤はフロアに落ちそうなボールに追いつくと、劉詩ブンのスマッシュにも瞬時に反応し、”みまパンチ”と呼ばれる押し出すようなフォアハンドのカウンターでノータッチエースを決めたのだ。

「このプレーに、伊藤選手の特別な才能があらわれている」と指摘するのは、伊藤の練習パートナーを務めている関西大学卓球部の坂根翔太である。リオデジャネイロ五輪後にパートナーに抜擢されたサウスポーの関西学生チャンピオン(2016年度)は、伊藤の卓球に最も近くで接しているひとりだ。

「伊藤選手の卓球は他の誰とも違う個性にあふれていますが、そのなかでも僕が凄いと思うのは、守備で点を取れることです。あのプレーを振り返ると、まずネットインしたボールを返されたことに劉詩ブン選手は驚いたはずです。だから、コースを狙う余裕がなく、返ってきたボールはチャンスボールになり、それを思い切り叩いた。

 崩れた体勢からレシーブの形を整えた伊藤選手は、劉詩ブン選手が打ち込むスマッシュのコースを読みきっていたと思います。卓越した反応と予測能力、そして彼女にしかできない形でカウンターを打ち込む攻撃センスがあるから、守りから点を取れるんです」

 国際卓球連盟(ITTF)も、日本版ツイッターでこのカウンターを「ミラクルショット」として動画で紹介しているが、伊藤が世界選手権決勝のコートで王者の膝をグラつかせたシーンはそれだけではない。

 台上での攻防で、チキータの上回転と下回転を繊細なボールタッチで使い分けたかと思うと、逆回転をかける「逆チキータ」も披露し、劉詩ブンを混乱させた。第2ゲームに7−10とゲームポイントを握られた場面で、耳の近くに返ってきたボールを、軽く横回転をかけるようにフォアカットしたプレーは、中国ベンチをも驚かせたのではないか。一瞬のひらめきで誰もが驚くようなラケットの面使いを世界選手権決勝のコートでできるのは、おそらく彼女しかいないだろう。

「打倒中国に日本を含めたいろんな国が挑んできましたが、中国選手と同じようにドライブの回転量を多くして対抗しようとする選手が多かったと思います。でも、伊藤選手はまったく違うアプローチをしている」と、坂根は言う。

「まったく違う土台の上に、彼女しか思いつかないようなアイデアを積み上げて中国を倒そうとしている。それも彼女の強みだと思います。自分たちとは違うスタイルで向かってこられたほうが、相手も嫌なはずですから」

■“バケモノ”に育つための土台と、楽しむ感覚から生まれるオリジナリティ

 その伊藤のプレースタイルの土台が、母・美乃りさんによる幼少期の厳しいトレーニングで築かれたことはよく知られている。

 静岡県磐田市に構えた新居のリビングに卓球台を置き、母と幼稚園の年長組に通い始めたばかりの娘と、一日のうち最低でも4時間、休日は7時間以上もネット越しに向き合った。時間だけではない。練習ではなく「訓練」と名付けたメニューには、卓球の教則本には載っていない、母が独自に考えたメニューが散りばめられていた。

 足の動きを止め、上半身だけでボールに反応したり、ボールを見ないでラケットに当てたりといった練習のほか、身体のバランス感覚を養うために左手でもラケットを振らせた。声を出してラケットを振った翌日は、口を閉ざしたままボールを追った。「打ち方が自己流で、ボールが予測できない回転をする」という理由で、公民館で汗を流す中高年の初心者を練習相手に選んだこともある。

「幼い頃は型にはめず、卓球をする体の感覚をしっかりと身につけさせることを考えました。私は美誠を相手の選手が次のプレーを予測できない、”バケモノ”のような選手に育てたかったんです。そのためには、子どもの頃から誰よりも長い時間ラケットを振らせ、他の誰もやらない練習をさせるしかないと思っていました」

 そんな美乃りさんの言葉が、取材ノートに刻まれている。

 特筆すべきことのひとつは、地元の小学校を卒業した伊藤が拠点を大阪の卓球私塾「関西アカデミー」に移すと、その練習風景がガラっと変わったことである。

“バケモノ”に成長するための土台をしっかりと固めた手ごたえがあったのか、美乃りさんは直接的な指導から距離を置き、静岡時代から伊藤のプレーを見ていた松崎太祐氏を専属コーチにつけた。

 関西アカデミーでの練習を何度か見せてもらったが、かつての「訓練」を連想させる雰囲気はまったくなかった。そこで目にしたのは、とにかく自由で、自分で考え、そして楽しそうにラケットを振る伊藤の姿である。

 その空気を肌で感じている練習パートナーの坂根は「伊藤選手のあの独創性、相手の意表を突くプレーは遊び心というか、卓球を楽しむ心から生まれている」と言う。

「真剣に練習してるんですが、どこかで”遊びの延長線”という意識もあると思います。とにかく卓球が大好きで、楽しみながらラケットを振っていることが僕にも伝わってくる。楽しいからどんどん新しい発想が湧いてくるし、楽しいから試合でも緊張しない。それが世界選手権決勝の舞台でも変わらないことを、彼女は証明したと思います」

 もちろん、伊藤が雌伏のときを過ごしたことも忘れてはいけない。15歳で出場したリオ五輪で卓球競技における最年少メダリストになった後、不調に陥った。勝利から遠のくなか、天真爛漫な彼女から笑顔が消え、練習中に思い詰めた表情を見せる姿を周囲は何度も目にしている。

 しかし、このときも美乃りさんは「美誠は今、結果を急がなくてもいい」と、印象的な言葉を残している。

「スポーツにはピーキングも大切です。焦ることはありません。今こそ、原点に戻って土台を見つめ直すチャンスだと思っています」と。

 卓球選手としての土台を作り上げた原点と、自由な感受性――。

 現時点で総括すれば、この2つの要因が、伊藤の唯一無二なプレースタイルを育んだのかもしれない。


■未来の目標を現実に。いつか、世界の頂点に立つ日がやってくる

 磐田市の実家を訪ね、訓練に明け暮れた幼少期の思い出の品を見せてもらったことがある。そのなかで、筆者の印象に最も強く残ったのが、伊藤が4歳のときに作った「みまがんばりひょう」である。

 頑張って達成すべき目標と、それによって伊藤にご褒美として与えられるポイントがそれぞれ刻まれている。

 例えば「まま、ひだりてにかつ」をクリアできれば0.5点、「ふぉあ200かいつづける」で3点、「まま、みぎてにかつ」で5点といったように、難しい目標をクリアするほど高ポイントを獲得できる。そこまでは4歳の目標として理解できたが、驚いたのは、遠い先の未来にまで目標が設定されていたことである。

「ぜんにほんよせんつうか」は30点、「ぜんにほんべすと16」は100点、「ぜんにほんちゃんぴおん」は300点、そして最高得点である1000点が獲得できる課題は、「せかいちゃんぴおん」となっていた。

 どんな人間も未来を予測することはできない。だが、この「みまがんばりひょう」を作った10年あまり後に、娘は本当に全日本チャンピオンになり、皇后杯を掲げるとともに300点を獲得したのだ。こうした現実は当然、さらにその先への期待につながっていく。

 昨年4月のアジア選手権で、中国のトップ3を倒して優勝した平野美宇が徹底的に研究されたように、中国は伊藤の卓球を今まで以上に丸裸にしようとするだろう。

 だが、彼女のスタイルの源流にある母の思いと、彼女自身の自由な感受性は外部から覗くことはできない。最新の世界ランクで5位に名を連ねた伊藤がさらなる研鑽を重ね、そのオリジナリティをこれからも更新していければ、こう振り返る日が来るかもしれない。

 ハムスタッドでの勝利は、1000点を獲得する物語の序章だった、と。




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