バルセロナの不安定な魅力6

 キケ・セティエン監督が率いる現在のバルセロナにおいて、下部組織「ラ・マシア」出身で最後に先発の座を確保した選手は、2011年にデビューを飾ったセルジ・ロベルトである。つまり、10年近くこれと言った人材が出ていない。今シーズンは17歳のアンス・ファティが台頭しているが、レギュラーの座を獲得するには至っていないのが現状だ。

 2012年11月には、一時的にラ・マシア出身選手のみのイレブンが生まれた。隔世の感を禁じ得ない。現在のバルサにとって、ラ・マシアとトップチームの接続の悪さは、由々しき問題と言える。

 近年のバルサは、アンドレ・ゴメス(エバートン)、トーマス・フェルマーレン(ヴィッセル神戸)、ドウグラス、マウコム(ベシクタシュ)、フィリペ・コウチーニョ(バイエルン)、ウスマン・デンベレ、ネウソン・セメドなど有力な外国人選手の獲得に数百億円を投資しながら、ほぼ回収できない状態が続いている。アントワーヌ・グリーズマン、フレンキー・デ・ヨングは確かに好選手だが、2人の移籍金だけで300億円以上。苦境を複雑化しているだけにも映る。


4年間に数々の栄冠をバルセロナにもたらしたジョゼップ・グアルディオラ監督

 2008−09シーズンから4シーズン指揮したジョゼップ・グアルディオラは、”強く美しいバルサ”を実現した。それは奇跡だったのか――。

「バルサの土台はラ・マシアにある」

 グアルディオラはそう言って、2007−08シーズン、バルサの監督オファーを断って、バルサBの監督を務めた。そこで1シーズン、若い選手をみっちりと鍛え、バルサBは4部から3部へ昇格。これでラ・マシア自体の活気を取り戻し、ペドロ(チェルシー)、クリスティアン・テージョ(ベティス)、チアゴ・アルカンタラ(バイエルン)、そしてセルヒオ・ブスケッツなどラ・マシア組をトップに引き上げていった。

「ペップ(グアルディオラ)ははっきりしたアイデアを持った人で、メッセージも伝わりやすい。彼自身、ラ・マシアで育ち、トップでも数多く試合に出場しているから、選手の気持ちもわかる。おかげで、僕はゴールに向かってのプレーに専念できた」

 ラ・マシアで育ったリオネル・メッシは、そう変化を説明していた。

 グアルディオラは、前任のフランク・ライカールトと比べると峻厳だった。選手の怠けは許容しない。ただ、選手の可能性を信じ、広げる、という点では共通していた。

「ピッチでは勇敢に、とにかく勇敢に戦え」

 彼は選手をそう叱咤した。その「勇敢に」は、「必死にボールを奪え」「球際で負けるな」というフィジカル的な意味合いではない。ボールをつなげる、その怖さに打ち克ち、攻め勝て、というメッセージである。「攻め続ける」という究極のボールプレーを目指し、80%以上の支配率を誇った。

 2009年5月、サンティアゴ・ベルナベウで行なわれたクラシコでは、金字塔を打ち立てた。バルサは一方的に攻め立てながら、レアル・マドリードに不意を突かれ、先制点を奪われる。しかしメッシを中心に反撃し、すぐに逆転。レアル・マドリードは態勢を整えようとしたが、バルサは相手陣内で激しいプレッシングをかけ、ボールを奪うと攻撃を再開し、絶え間なく攻め寄せる。そしてメッシの2得点などにより、2−6と敵地で大観衆を沈黙させた。

「ベルナベウの沈黙は忘れられない」

 シャビ・エルナンデスはそう証言している。

「(グアルディオラの)バルサは常に選手同士が刺激し合い、成長した。ポジションは流動的で、どこからでも攻撃可能だった。

 たとえばアンドレス(・イニエスタ)は、左サイドで1対1を外せるけど、トップ下でも貴重なゴールに絡めた。人だけでなくボールも速く動いて、カオスのように見える。でも秩序があって、バルサではパスコースを見つけなくていい。それはすでに存在しているのさ」

 グアルディオラのバルサは1年目でリーガ、スペイン国王杯、チャンピオンズリーグ(CL)の3冠を達成した。2年目はリーガ、クラブワールドカップ(クラブW杯)、3年目はリーガ、国王杯、CL、4年目はクラブW杯、国王杯。指揮をしたすべてのシーズンでタイトルを勝ち取った。最後こそ減速したが、バルサの「最強時代」と言えるだろう。

「まるでボールを持てなかった。こんなチームと対戦したことはない。彼らは勝利に値した」

 2010−11シーズン、CLの決勝でバルサと対戦し、3−1と敗れたマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督(当時)は、そう言って白旗を上げた。3割強程度しかボールを保持できず、19本ものシュートを浴びた。サーの称号を得た老練な指揮官が、手放しで称賛を送るほどだった。

「今日もまた回されるのか」

 対戦チームはいつしか試合前から腰が引け、厭戦気分を漂わせるようになった。

 グアルディオラは、バルサが苦手としていたイタリアのサッカーをとことん研究していた。キャリア晩年にブレシアで選手として身体で学び取り、その守備戦術を攻撃用に改良。前線での守備とショートカウンターにつなげた。それによって、クライフ時代の脆さが消え、”強すぎて”可愛げもなくなったほどだ。相手に「打つ手がない」という絶望感を与え、戦う前から勝利していた。

 しかしそんな時代は長く続かない。グアルディオラが去ったあとのバルサは、緩やかな角度で道から逸れていった。
(つづく)




著者:小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki