僕はこうして逆境を乗り越えてきた 〜 佐々木翔(サンフレッチェ広島)〜

 本来ならば現地まで足を運び、ひざを突き合わせて話を聞くのが礼儀だが、コロナ禍である現状では、そうはいかない。チームも活動自粛中のため、約束の時間になると、事前に聞いていた連絡先にコンタクトを取った。


今季から広島のキャプテンに指名された佐々木翔

 すぐにいつもと変わらない明るい声が響いてくる。今シーズンよりサンフレッチェ広島のキャプテンに就任した佐々木翔だった。

「最近はほとんど家にいますね。子どもがふたりいるので、子どもたちの気分転換も兼ねて、たまに散歩に出掛けるくらい。人気(ひとけ)を避けて、夜に走ることもありますけど、基本的には体幹とか筋トレとか、家でできるトレーニングをしています」

 チームメイトの柏好文とは家が近いこともあり、飲食店でお持ち帰りを頼んだ時には、お互いに差し入れすることもあるという。

「チームメイトとは、たまに電話することもあります。あとは、選手何人かでスマホのゲームを一緒にしているんですけど、オンラインでプレーしながら、ボイスチャットで会話しています。


 メンバーは(清水)航平とか野上(結貴)、浅野(雄也)、あとはベガルタ仙台に移籍した(吉野)恭平。(柴崎)晃誠さんも一緒にやっているんですけど、なぜか音声はつなげてくれないんですよね(笑)」

 試合や練習だけでなく、ボールすらろくに蹴れない日々が続いているが、佐々木はクラブや周囲に対して「何かできることはないか」と考えていた。

「サッカーをやっている子どもたちは学校に通えないだけでなく、卒団式もできないということ知って、みんな寂しい思いをしているだろうなって感じていたんですよね」

 そうしたサッカー少年・少女たちに向けて、チームとしてメッセージを送ったりした。もっと交流を図ることはできないだろうか。家で妻と話していると、アイデアが浮かんだ。

 すぐに行動を起こすと、現役を引退して今シーズンから広島のアカデミー普及部コーチに就任した丸谷拓也に連絡した。そして、丸谷がクラブにかけ合ってくれ、広島ジュニアの子どもたちと『zoom』(ビデオ会議システム)を活用して話をする機会が設けられた。


「子どもたちの顔が見られたこともうれしかったですし、普段からこんな真面目にコーチや保護者の話を聞いているのかなっていうくらい、真剣に僕の声に耳を傾けてくれた。

 質問も考えてきてくれていたし、何かを吸収してやろうと思ってくれたんですかね。終わったあと、自分もニコニコが止まらなかった」

 クラブとしても、佐々木が提案した企画を発展させ、継続している。

 彼らだけでなく、みんなが自粛した生活を送り、我慢を強いられている今だからこそ、自身の苦い経験や、それをいかに乗り越えたかを教えてほしい——。そう伝えると、「話をもらった時、僕こそ適任だと思ったんですよね」と返してくれた。

 佐々木が挙げたのは、大ケガを負った時期についてだった。

 サッカー選手にとってはキャリアを左右しかねないと言われる、ひざの前十字じん帯を、佐々木は2016年と2017年の2度、立て続けに断裂している。

「僕が一番苦しかったのは、間違いなく右ひざ前十字じん帯を負傷したときですね。2回やりましたけど、ひとつのケガでサッカーができない状況が長く続いたというのは、めちゃめちゃ苦しかった」


 最初に負傷したのは2016年3月20日、J1リーグ1stステージ第3節で、大宮アルディージャと対戦した試合終盤だった。

「1回目の時は、楽観視していたところもあったんです。時間はかかるけど、必ず戻れるんだと考えて、気持ちを切り替えようとしていたように思います。たとえば、捻挫もそうですけど、リハビリしていけばもとに戻るわけじゃないですか。そう思ってたというか、思おうとしていた。

 でも、前十字じん帯は違って。リハビリが進む速度も尋常じゃないほど遅いし、できることの伸び率がちょっとずつしか進まない。それ以上に、最終段階に入ってくると、結局、自分の足が前とは同じ状態には戻らないということを理解したので、それを受け入れるのがきつかったですね」

 完治した今も、正座することはできないという。表情こそ見えないが、まるで右ひざを見つめているかのようだった。そして、振り返っていく過程では、今だから明かせるエピソードを思い出してくれた。


「あれは(2016年の)リーグ終盤だったと思います。オペから7カ月経って、メンバー外の練習に交ざっていたんですけど、実はそこでまた、右ひざのじん帯を痛めてしまったんですよね。

 病院に行って検査したら、じん帯が半分くらい切れているような状態だって言われて。もう一度、オペするか、保存療法でいくかの選択を迫られたんですけど、そこで僕は筋力でカバーできるんじゃないかと思って、保存療法を選んだんです」

 復帰への道のりは一気に後退した。ボールも蹴れていたし、ダッシュもできていた状態から、再びウォーキングからはじめる過程へと逆戻りした。

「年が明けて、オフを返上してトレーニングして、再びダッシュができるようになるまで回復して。そのまま(2017年の)キャンプに突入したんですけど、クリアの練習でヘディングして着地した時、ひざが横に揺れて右ひざの骨が『ガツン!』って何かに当たったような痛みを感じたんです。

 それでトレーナーにチェックしてもらったら、『(じん帯が)切れてる』って言われて……。その日は地獄のような1日を過ごしました」


 翌日がオフだったこともあり、夜には街中に出掛けてチームメイトと食事をした。みんなが楽しそうにしている姿を見て、自分が再び負傷した事実は告げなかった。

「部屋に戻ってからもみんなと話をしていたんですけど、気を遣われるのが嫌だったので言わなかった。だから、誰にも言わず、翌朝キャリーバックを引いて広島に帰ったことを覚えています」

 再びオペを行ない、再び地味で過酷なリハビリを経て、佐々木がピッチに戻ったのは2018年のJ1開幕戦だった。ほぼ2年間、佐々木はシーズンを棒に振ったのである。

「僕自身、メンタル的に落ち込んだ時期もありました。本当に戻れるのかなっていう思いは当然、あるじゃないですか。サッカーができるようになっても、試合に出られなければ意味がないって自分では思っていて。

 そんな時に、奥さんが『ちゃんともう1回、試合に出られるって私は信じているから大丈夫だよ』って言ってくれたんです。その言葉には救われましたよね」


 1度ならまだしも、2度……厳密に言えば、3度も苦況に立たされた。前進しては後退、光りが見えれば暗闇に突き落とされながら、佐々木はなぜ前に進めたのか。

「今の世の中の状況を考えれば、僕は選手としていられる立場だったから、まだまだ甘い状況だったのかもしれないですけど、やっぱり、その時にできることを粘り強くというか、今やれること、できることに向き合えるかどうかしかないんですよね。だからこそ、自分も今につながっていると思うんです」

 復帰してからも、頭の中にある以前の自分のイメージと実際の身体の反応が異なり、それが合致するまでには、かなりの試合数を要したという。

「頭の中では、このタイミングなら足でボールを触っていると思って、足を出すんですけど、その時にはもう相手に先にボールを触られている。だから、復帰して半年くらいは超きつかったですね」

 ただ今では、そうした想像と現実の差違も感じなくなったという。佐々木にとって、あの2年間で糧になったものはあるのだろうか。


「よくこの質問をされるんですけど、普段は綺麗に答えているんです。メンタル面だったり、人間としては成長できたって。ただ、本音を言えば、ただの無駄な時間です」

 2年という時間があれば、どれだけのキャリアを積めたのだろうか。そう思うのは当然である。

「今は復帰できて、試合にも出られるようになったから、メンタルや人として成長したって言えるんですよね。でも、自分に物足りなさというか、昔の自分との差を感じる時もやっぱりある。そんな時、『今もお前は成長しているんだぞ』って自分に言い聞かせてきたところもあります」

 言い換えれば、その2年間を「無駄な時間」と言えるのは、今日の佐々木があるからだ。それだけの努力と研鑽を積んできたからこそ、過去をそう言いきることができる。

「あの経験が将来の何に生きるかって言われても、やっぱり、答えを出すのはすごく難しくて。あの時間があれば、もっとうまくなれたんじゃないかという思いのほうが大きい。それだけもったいない時間だったなって思います。


 ただ……あの時も、自分を見失わずにやれることをやりながら耐えられたからこそ、今につながっているというのは間違いない」

 人の痛みや苦しみもわかる。きっと、人間としてはひとまわりもふたまわりも成長したことだろう。だからこそ、青山敏弘に代わり、今シーズンから広島のキャプテンに指名されたように思う。

 これまでも、これからも、今やれるべきことをやり続ける。その先に、きっと答えはある。

著者:原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke