Jリーグ27年からチョイス!
『私のベストチーム』
第5回:2016年の鹿島アントラーズ

 Jリーグ史上最強だったのは何年のどのチームか。ある1シーズンに発揮された強さなのか。歴代最強なのか。後者だとすれば、サッカーは常にチーム力が右肩上がりを示す競技なので、該当するのは最近のチームになる。10年前、20年前のサッカーは、いま見るとユルユルだ。選手のクオリティを比較しても大きな差がある。戦術、技術は飛躍的に上がっている。当時のチームと現在のチームが戦えば、現在のチームの方が優勢であることは間違いない。

「昔はよかった」と言う気が起きにくいところが、サッカーの特徴ではないか。他の競技との違いではないか。


クラブW杯決勝でレアル・マドリードを追い詰めた鹿島アントラーズの遠藤康

 Jリーグの場合はなおさらだ。Jリーグは、チャンピオンズカップがチャンピオンズリーグ(CL)に名称を変えたのと同じタイミングで発足した。それぞれには同じ27年間の歴史がある。JリーグとCL。両者は27年前、同じサッカーでもまったく別の競技に見えた。

 だが、現在はどうだろうか。CLが身近な存在になり始めたのは2001年(2001−02シーズン)、稲本潤一(SC相模原、当時はアーセナル)が日本人初のチャンピオンズリーガーになった頃からだと思うが、以降、その数は徐々に増え、現在では延べ18人を数えるまでになった。

“日本代表級”と”CL級”が、もう少しで一致を見るところまで迫っている。サッカーの中身も、かつてほどの開きはない。それを証明したのが2016年のクラブW杯だった。

 この年、Jリーグのチャンピオンシップで、川崎フロンターレ(準決勝)、浦和レッズ(決勝)を破り、年間王者に輝いた鹿島アントラーズは、日本で開催されたクラブW杯に自国枠で出場した。

 中4日で戦ったオークランド・シティ(オセアニア代表/ニュージーランド)に2−1で逆転勝ちすると、準々決勝でマメロディ・サンダウンズ(アフリカ代表/南アフリカ)に2−0、準決勝でアトレティコ・ナシオナル(南米代表/コロンビア)を3−0と、強豪相手に立て続けに完封勝利を収め、日本勢として初めて決勝に進出した。

 相手は、2015−16シーズンのCL覇者として出場してきたレアル・マドリード。その後、2016−17、2017−18シーズンもCLを制し、3連覇の金字塔をうち立てることになった当時の欧州最強チームである。

 試合になるのか。大会を汚すことにならなければいいが……との心配をよそに、鹿島は健闘した。90分を終了して2−2。試合は延長に進んだ。後半終了間際、金崎夢生を倒したセルヒオ・ラモスに、ザンビア人の主審は、2枚目のイエローという段になり、なぜか出しかけたカードをしまい込んだ。主審がセルヒオ・ラモスを退場にしていれば、結果は逆になっていた可能性が高い。

 鹿島は延長で力尽き、2−4で敗れた。しかし、考えられる範囲で最高の戦いをした。なによりサッカーの質が高かった。日本代表のお手本となるようなサッカーだった。W杯で拝みたくなるような戦い方を披露した。

 Jリーグのサッカーは、欧州各国のリーグに比べて守備的である。高い位置からボールを奪いにいこうとするサッカーより、後ろで守ろうとするサッカーが幅を利かせている。2016年以前はとりわけその傾向が強かった。

 鹿島はそうではない戦い方でクラブW杯に臨んだ。マメロディ・サンダウンズ戦、アトレティコ・ナシオナル戦、そして決勝のレアル・マドリード戦でさえ、後ろに引かなかった。格上とおぼしき強者に対し、攻撃的な姿勢で臨んだ。可能な限り高い位置で構え、勇敢に戦った。日本代表がW杯で、レアル・マドリード級の大本命と対戦した時、そうした戦いができるだろうか。2016年の鹿島を評価したくなる一番の理由はそこになる。

 そのうえ、しぶとかった。チャンピオンシップ準決勝、決勝は、年間順位3位の鹿島にとってはハンデ戦だった。準決勝は同点では負けになるアウェー戦。決勝はホーム&アウェー戦だが、同勝ち点の場合、得失点差あるいはアウェーゴール数で上回らなければならなかった(延長、PK戦はなし)。

 その難関を鹿島はクリアした。試合運びの巧さを挙げずにはいられない。終盤になるにつれてチームが結束し、ゲルマン魂ではないけれど、精神性を高めていく、ある意味で知的な姿は、日本代表チームを含め、終盤になるとばたつく傾向がある従来の日本サッカーにはない新鮮な魅力だった。

 レアル・マドリード戦も、終盤、危なっかしかったのは、レアル・マドリードのほうだった。セルヒオ・ラモスの件もあるし、さらには後半終了間際には、遠藤康がゴール前で絶好のチャンスを掴んでいた。そこで放ったシュートが右足ではなく、利き足である左だったら……鹿島はこの試合に勝っていた可能性が高い。

 2016年。鹿島はファーストステージを制したものの、セカンドステージは11位。チャンピオンシップ直前は4連敗を喫していた。Jリーグ単体としてみれば、年間順位で3位のチームが優勝をさらうことは好ましい話に見えないが、その結果、出場したクラブW杯では準優勝。鹿島は日本サッカー界に画期的な話題を提供した。

 クラブW杯の後、鹿島は天皇杯の準々決勝以降を戦っているが、そこでも3試合、勝利を飾っている。鹿島と言えばジーコ、そしてブラジルを連想するが、この時の鹿島はすっかり欧州的だった。当時の監督、石井正忠氏に話を聞けば「バルセロナにシンパシーを感じる」とのことだったが、終盤になればなるほど強さを発揮する姿は、アトレティコ・マドリード的でもあった。

 日本サッカーにとっても、鹿島にとっても、世界に通じたそのサッカーは、もっと評価されるべきではないだろうか。

著者:杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki