スーパーエース・西田有志 
がむしゃらバレーボールLIFE (6)

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 現在のバレーボール男子代表で、大きな期待と注目を集めている20歳の西田有志。そのバレー人生を辿る連載の第6回は、衝撃のVリーグデビューを振り返る。

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 大学を経て実業団入りすることが多い日本の男子バレー界において、高校からVリーガーになる異例の道を選んだ西田。海星高校3年時の2017年10月にジェイテクトSTINGSへの内定が発表され、翌年の1月6日に広島県立総合体育館でVリーグデビューを飾った。


史上最年少の17歳でVリーグデビューを果たした西田

 その日の東京体育館では、西田が高校3年間で1度も手が届かなかった、春高バレーの準決勝が行なわれていた。最後の春高に向け、「本戦で勝ち進む」ことを目標にピーキングを行なっていた西田は、その力をVリーグで発揮することになる。

 デビュー戦の相手は堺ブレイザーズ。西田はスタメンのオポジット・清野真一に代わって第1セット途中から投入された。第2セットも同じようにセットの途中から起用されると、第3セットはそのままスタートからプレー。試合はストレート負けを喫したが、西田は15打数10得点、66.7%という高いアタック決定率で堂々たる活躍を見せた。

 翌日のJTサンダーズ戦ではスタメン出場を果たす。強豪JTを相手にフルセットにもつれこむ熱戦となり、西田はまたも56.4%という高いアタック決定率で、チーム最多の26得点をマーク。セットカウント2−3で惜敗したが、西田はサービスエースも2本決めるなどチームを牽引した。

 男子のVリーグ史上最年少となる17歳でデビューした西田について、大卒で同期の中根聡太(今年3月に引退を発表し、星城大学の教員に)は当時、「デビュー戦の試合前はめちゃくちゃ緊張して、渋い顔をして『吐きそう』と言ってました(笑)」と語った。

 高校3年時のインターハイではベスト16に進出したが、全国大会に出場したのはその1回のみ。ほぼ無名の選手だったため、Vリーグの関係者もメディアも「あの高校生は何者なんだ?」と驚いていた。

 例は少ないが、高卒でVリーグ入りした選手がいきなり活躍するのは難しい。2002年、岡谷工業高校(長野)3年時に日本代表に抜擢され、サントリーサンバーズに入団した越川優も、スタメンで試合に出場したのは5月の黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会が初めて。その他の高卒の選手たちも、チームが大きくリードしている時や、スタメンを休ませたい時などにポイントで起用されることがほとんどだった。

 数年はチームで体作りをしながら出場の機会をうかがうものだが、芽が出ないまま、後から入団してきた同学年の大卒選手の影に隠れてしまうケースもある。そんな前例を覆した西田を、自身も高卒Vリーガーとして活躍したサントリーサンバーズの荻野正二監督も、「あんな高校生おらんでしょ。普通やないよ、彼は」と絶賛した。

 そんな快挙を成し遂げられたのは、春高本戦に向けて行なっていたピーキングのお陰でもあるが、当時ジェイテクトSTINGSの監督を務めていたアーマツ・マサジェディ(現VC長野トライデンツ監督)が思い切って西田を起用したことが大きい。

 アーマツは、世界的な名将であるフリオ・ベラスコがイラン代表の監督だった時にコーチを務め、チーム作りに対する考え方、トレーニング方法などを受け継いだ。その知見を求められ、2015年には日本代表のアドバイザーコーチに就く。彼の指導を受けた清水邦広と柳田将洋は、「アマド(アーマツの愛称)には、それまでの自分が知らなかった、役に立つ指導をしてもらった」と口を揃えた。

 アーマツは2016年12月にジェイテクトのコーチに就任。2017−18シーズンは監督としてチームを率いていたが、そこに西田が内定選手として加入した。ジェイテクトの関係者は、「数年のうちに活躍できるようになれば」と西田を紹介したという。しかし、アーマツは「実際に見てみなければ判断がつかない」と、春高予選で敗退して時間ができた西田をジェイテクトの練習に参加させた。

 チームには「サーブレシーブにも入るレフトで」という構想もあったようだが、アーマツの印象は違ったようだ。

「彼は非常にジャンプ力もあるし、体もできている。Vリーグの試合にすぐに出しても遜色はないと思ったよ。また、左利きだからライトから打たせたほうが絶対にいい。イラン代表にも左利きでレフトはいるけど、西田はメンタルも強いし、オポジットのほうが適しているように感じたんだ」

 その後もアーマツは、西田をジェイテクトの練習に参加させ、できるだけ試合にも帯同させた。さらに、チーム練習に来られない時も質の高いトレーニングができるように、自身が考案した練習メニューも渡したという。

 中には、相手コートをいくつかに区切り、それぞれにサーブを10回ずつ打ち込むといった厳しいメニューも多かったが、西田はそれをきちんと実行した。その姿勢を、アーマツは称賛した。

「偉かったね。彼が『学校の授業で疲れている』などと言って、私の目が届かないところでは適当にやるような人間だったら、あのVデビューはなかった。ジェイテクトの練習には1週間に1度くらい来ていたけど、その度に技術が向上していたし、どんどん体もたくましくなっていった。私が『うまくなったね』と声をかけると、『言われたメニューを毎日やってますから』とまっすぐに答えたんだ。バレーボールに対する熱がすごく高かったよ。そんな彼が活躍する姿を見るのは、本当にうれしいね」

 アーマツはデビュー後も西田をスタメンとして起用し続けたが、ファイナルステージ進出争いをする大事な時期だっただけに、チームのスタッフからは「経験がある選手を起用するべきでは」という声も上がったという。それでも、アーマツは揺るがなかった。

「勝ちにはつながらなくても、彼はすごくいいプレーをしていたし、もっと伸びていくと信じていた。だから、リスクを負っても西田を使ったんだ。若い選手がすごい速さで成長するのを何度も見てきたし、いい素質を持っている選手を『若すぎる』という理由で起用しないのはもったいないと判断した。彼をジェイテクトの中心選手にする。そのつもりで使い続けたんだ」

 ジェイテクトはシーズン6位で「ファイナル6」に進んだものの、その先には進めず。アーマツは、5月の黒鷲旗を最後にチームを去ることになった。当時、西田はアーマツに対する感謝をこう述べた。

「Vリーグで活躍するために何をしたらいいかを教えてもらいました。中でも一番大事だったのは、僕のプレーの余分なところを削ぎ落としてくれて、コンパクトなプレーができるようになったことですかね。スパイクの打ち方などはもちろん、『こういう状況では、こうプレーするとチームが楽になる』など、会話をする中で学んだこともたくさんあります。

 そんなに長くはなかったですけど、とても濃い時間を過ごさせてもらったので、今回の退団はとてもつらいです。僕はアーマツさんの考え方を受け継いだと思っているので、それを広めていけば、アーマツさんも喜んでくれるんじゃないかと。そういった形で感謝の気持ちを伝えられたらと思います」

 アーマツが最後に指揮を執った黒鷲旗で、ジェイテクトは決勝に進出。パナソニックパンサーズに敗れて準優勝となったが、西田は新人賞にあたる「若鷲賞」を受賞した。

 恩師の言葉どおりチームの中心選手になった西田は、その活躍が認められ、2018年度のシニア日本代表に大抜擢された。

(第7回につづく)

著者:中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari